bend sinister

平野啓一郎『かたちだけの愛』

 平野啓一郎については、毎回ガラっと変わる物語設定や、初期とその後との文体の変化などがよく指摘されるが、何冊か読み進めていけば、そういった表面上の差異を超えて、一貫したテーマが複数の作品の中に通奏低音のように流れていることに気付かされる。なかでも「生き直す」と「愛し直す」という概念は、平野作品を読み解く上で重要なキーワードになっているように思える。

 この『かたちだけの愛』では、叶世久美子という、事故で片足を失った女優(タレント?)が諦めかけた人生に再び光明を見出していく過程と、相良郁哉という、離婚を経験し愛を見失ったプロダクト・デザイナーの男が(相手を変えてではあるが)人を愛するという感情(概念)を取り戻してゆく姿とが、同時並行的、あるいは混ざり合う形で、実にきめ細やかに描かれていく。

 そのハイライトは何と言ってもラヴェルのピアノ協奏曲第二楽章をバックに主人公の二人の手がわずかに触れ合うシーン。愛の始まりをこれほど格調高く、かつ美しく表現した小説を他に知らない。『マチネの終わりに』でもそうだったが、音楽を小説的に表現していく上での、緻密な描写とその言葉の選択の巧みさについてもまた比類がないくらいに素晴らしい。(単行本では)143ページ後半から144ページにかけての、「二人の関係の余白を、音楽がその透明な糸でやさしく縫い合わせていく」一連のシークエンスはまさに絶美と言っていい。(ちなみにこの場面で流れるのは、クリスティアン・ツィメルマンのピアノとピエール・ブーレーズ指揮クリーヴランド管弦楽団による演奏で、ぼくも愛聴している盤だったので嬉しかった)

 主人公たちの職業を反映して、専門用語やブランド名/アーティスト名などの固有名詞が続出し、村上龍のある種の作品のように記号論的な趣もあるにはあるが、「断端」や「幻痛」といったあまり聞き馴れない言葉が、小説の中で繰り返し使われていく内に、展開される物語のテーマと密接に絡み合って、単に名称や症例を顕す以上の隠喩的な意味合いを帯びてくる(帯びさせてゆく)のを読んでいると、(平野氏についてよく言われる)「知識のひけらかし」などという誹りはまるで見当違いであることを確信させるとともに、言葉の力を信じ、その言葉をクリエイティブかつ自由に操ることのできる小説家のみが辿り着くことのできる深遠を垣間見させてくれる。

 入り組んだ物語、張り巡らされた伏線、それぞれが独立的な複数のテーマの同時進行(ポリフォニー)、さらには、前述のラヴェルのコンチェルトや、谷崎潤一郎の『陰翳礼賛』と『刺青』、そしてエイミー・マリンズ(アメリカの義足のアスリート/女優)への言及など、一見作家の興味の赴くままに並べられたかのような諸要素が、小説が後半に向かうに連れてパズルのピースのように有機的かつ意外な驚きを伴って繋ぎ合わされてゆき、最後には一幅の大きな絵が完成する。それは(登場人物の台詞を借りれば)「目覚めたまま見る夢」であり「この瞬間が、永遠に続いて欲しいと思うような夢」でもある。そして、作者である平野啓一郎は、その<愛の夢>を小説という形で永遠に定着させてみせたのだ。
f0190773_17573384.jpg

[PR]
# by ok-computer | 2018-11-12 18:00 | | Trackback | Comments(0)

2018年の(暫定的)ベストソングを並べてみる

Let's Eat Grandma - Hot Pink


King Princess - 1950


Mitski - Nobody


The Internet - Come Over



The 1975 - TOOTIMETOOTIMETOOTIME


Gorillaz - Humility


Sunflower Bean - Only A Moment


Tom Misch - It Runs Through Me (feat. De La Soul)


[PR]
# by ok-computer | 2018-11-01 23:17 | 音楽 | Trackback | Comments(0)

村田沙耶香『地球星人』

 村田沙耶香『地球星人』を読了。

 『コンビニ人間』を読んで感激し、その後『殺人出産』を読んでよく分からなくなったため、芥川賞受賞後初となるこの作品は期待半分不安半分で手に取った。

 結果、『コンビニ人間』よりは『殺人出産』寄りの作品であり、タイトルから想起されるSF的な文脈においては、平野啓一郎『ドーン』よりも安部公房『人間そっくり』寄りの作品で、いわば作家の「脳内SF」とでも形容したくなるような内容となっている。

 その内容を端的に言ってしまえば、「あなたがたは地球星人だと言い切れるのですか?」。恐ろしく受け身で無抵抗主義な主人公(『コンビニ人間』や『殺人出産』の主人公に通じる)の言動や(ポハピピンポボピア星人としての)目を通して、常識、普通、正義、道理といった通常の倫理観や社会規範に揺さぶりをかけてくる。

 『コンビニ人間』は作者自身が勤務経験のあるコンビニを舞台としたことで広く共有/共感できる内容となっていたが、今回は再び脳内世界へと回帰してしまっている。小説家としてのキャリアを考えた場合、それは賢明な判断だとはとても言えないように思えるが、『コンビニ人間』100万部の読者を奈落の底へと叩き落とすのも構わずに、その作家性をあくまでも貫き通したことは、「普通」や「常識」を心底忌み嫌う(ように見える)この作者に相応しいのではないか。

f0190773_21212517.jpg

[PR]
# by ok-computer | 2018-11-01 21:22 | | Trackback | Comments(0)

『search/サーチ』

 映画全編がPCモニター内だけで展開する画期的な映画として話題の作品ですが、『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』みたいな新奇な方法論を提示するだけの映画だったらどうしよう?と思いましたが、杞憂だったようで、革新的な手法を、新人の監督(アニーシュ・チャガンティ)とは思えないくらいプロフェッショナルな手腕で娯楽作品として昇華させた掛け値なしに素晴らしい映画でした。

 YouTube、Facebook、Messengerのビデオチャット、iMessage、Tumbler、FaceTimeなど、複数のアプリがPC上で素早く展開することによって、通常の映画の短いカット割の積み重ねと同じようなスピード感が生まれ、さらには、PCやスマホだけでなく、配信ニュースのヘリからの空撮や監視カメラなど、様々な映像素材のミックスによって、画面が単調になることを巧妙に避けるだけでなく、映画的なダイナミズムを獲得することにも成功しています。

 映画は、なりすまし・フェイクニュース・被害者に対する心ない自己責任論など、今の日本との共通する課題を差し挟みつつ、仮想と現実、ON(学校・職場)とOFF(プライベート)などがネット空間を媒介として交差し、それらが溶解しつつある現代における人間関係の在り方、なかでも親子関係について、サスペンスフルなドラマのなかで検証・考察されてゆきます。

 LINEやiMessageなどのアプリでは伝わらない、面と向かって人に伝えるべきこと(そうでないと伝わらないこと)は今でもたくさんあると思いますが、逆に面と向かって言えないことが、メッセージアプリだからこそ伝えられることもあるでしょう。この映画は後者の使い方が抜群に上手い。映画のクライマックスには台詞はなく、画面によるメッセージのやりとりだけで最もエモーショナルなシーンが生み出されています。たくさんのウィンドウやアプリを起動したままシャットダウンすると最後に残るものは何でしょう?今いちばん面白い映画、必見!です。

f0190773_16160897.jpg

[PR]
# by ok-computer | 2018-10-29 16:16 | 映画 | Trackback | Comments(0)

平野啓一郎『空白を満たしなさい』

 平野作品を読み進めてきて、個々の作品とは別に、それぞれの作品を縦断し、読み解く鍵として「愛し直す」「生き直す」というテーマがあることに段々と気づいてきたが、これはそれらが最もラジカルな形で顕われた小説かもしれない。この作品の主人公・土屋徹生は、死後3年経って突然「生き返った」男である。小説を読んでいて、こんなことをよく思いつくなー、と感じることがあるが、この作品を読んで思うのは、よくこんなアイデアで一冊の本を書き切ってしまえるなー、ということで、一歩間違えばトンデモ本になりかねないような題材を扱って、これだけの小説内リアリティを構築できることにまずは驚嘆させられる。

 小説は「なぜ生き返ったのか?」ということについては不思議なくらい淡白である一方で、死んでから3年後に生き返ったことで、その空白の期間に対する本人と家族や友人・知人との時間的・感情的なギャップ、また免許証が失効したり、死によって支払われた生命保険が「生き返った」ことで返金義務が発生するといった、想定外の事例に対する社会制度上の問題などを丁寧に辿ってゆく。文体は明晰であるとともに平易なもので、いつもながらの難解な漢字が時々出てくることを除けば、平野作品のなかでは最も読みやすい部類に入るのではないだろうか。これは複雑な(あるいは微妙な)テーマを分かりやすく述べていく、という意図ともに、単行本化の前に連載されていたのが『モーニング』という漫画雑誌であることを意識したものなのかもしれない。

 平野啓一郎は『日蝕』でもキリスト教を取り上げているが、「よみがえり」(この作品では「復生者」という言葉が用いられる)という題材についてキリストの「復活」を連想しないことは難しい。主人公が(2年でも4年でもなく)3年後に生き返った、という設定には、キリストが「3」日後に復活したことを意識させるし、その後に起きる消失という現象もキリストの昇天になぞらえることができる。さらに主人公が死の真相を知る重要な場面における「生きるために死ぬ」という概念(マーラーの『復活』みたいだ!)もキリスト教的文脈で捉えるといくらか理解できるような気がするし、佐伯という謎めいた人物はキリストに対するユダ的な存在であること、また主人公の妻もマグダラのマリア(原罪から解放される存在として)に重ね合わすことなどもできそうだ。

 この作品に関しては平野氏が提唱する「分人主義」ばかりにスポットライトが当てられるが(そして、それは間違いではないが)、それとは違った角度からの分析も可能ではないかと書いておきたい。『空白を満たしなさい』の文体や物語構造はシンプルであるのだが、その解釈は幾通りにも出来るようになっている。その意味で、やはり重層的で複雑な、典型的な平野作品であると言える。

 光に満ちた最終章においては、ランボーの『地獄の季節』の(あの一節の)イメージまでもが引用され、その筆致は平野作品にしては珍しく、限りなくウェットなもので、凝縮された生と死の描写のなかで、永遠は一瞬となり、一瞬は永遠となる。ストロークの痕に残されたものはほろ苦く、すべからく人生は期限付きのものであることを思い知らされる。

f0190773_16092946.jpg

[PR]
# by ok-computer | 2018-10-28 16:09 | | Trackback | Comments(0)