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音楽の海岸

カテゴリ:映画( 22 )

『search/サーチ』

 映画全編がPCモニター内だけで展開する画期的な映画として話題の作品ですが、『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』みたいな新奇な方法論を提示するだけの映画だったらどうしよう?と思いましたが、杞憂だったようで、革新的な手法を、新人の監督(アニーシュ・チャガンティ)とは思えないくらいプロフェッショナルな手腕で娯楽作品として昇華させた掛け値なしに素晴らしい映画でした。

 YouTube、Facebook、Messengerのビデオチャット、iMessage、Tumbler、FaceTimeなど、複数のアプリがPC上で素早く展開することによって、通常の映画の短いカット割の積み重ねと同じようなスピード感が生まれ、さらには、PCやスマホだけでなく、配信ニュースのヘリからの空撮や監視カメラなど、様々な映像素材のミックスによって、画面が単調になることを巧妙に避けるだけでなく、映画的なダイナミズムを獲得することにも成功しています。

 映画は、なりすまし・フェイクニュース・被害者に対する心ない自己責任論など、今の日本との共通する課題を差し挟みつつ、仮想と現実、ON(学校・職場)とOFF(プライベート)などがネット空間を媒介として交差し、それらが溶解しつつある現代における人間関係の在り方、なかでも親子関係について、サスペンスフルなドラマのなかで検証・考察されてゆきます。

 LINEやiMessageなどのアプリでは伝わらない、面と向かって人に伝えるべきこと(そうでないと伝わらないこと)は今でもたくさんあると思いますが、逆に面と向かって言えないことが、メッセージアプリだからこそ伝えられることもあるでしょう。この映画は後者の使い方が抜群に上手い。映画のクライマックスには台詞はなく、画面によるメッセージのやりとりだけで最もエモーショナルなシーンが生み出されています。たくさんのウィンドウやアプリを起動したままシャットダウンすると最後に残るものは何でしょう?今いちばん面白い映画、必見!です。

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by ok-computer | 2018-10-29 16:16 | 映画 | Trackback | Comments(0)

『万引き家族』

 近くのシネコンで『万引き家族』が再上映されていたので、今さらながら観てきました。

 途中まで「このお婆さん役の人、樹木希林に似てるなー」と思っていたのですが、最近亡くなったことに思い当たって、ご本人であることと、そして、それがゆえに再上映されていることにようやく気付きました。娘が見ている番組を横で眺めること以外、テレビを見るということがほとんどないので、こういうことには本当に疎いのです。(他にも、女性刑事役の人を観て「井上真央も老けたんだなー」と思っていたのですが、エンドロールで確かめたら池脇千鶴でした・・・)

 それはともかくとして、先日『カメラを止めるな!』を観たときには「今年これ以上の映画は観れないだろうな」と感じたのですが、これはさらに上回る、もうこれ以上は絶対に無い!と断言したくなるような素晴らしい作品でした。

 疑似家族のドラマを通して、そもそも家族とは何なのか? そして家族という価値観さえも揺らぎつつある、昨今の社会情勢の歪みを真正面から捉え、その厳しい現状認識を、笑いにもファンタジーにも逃げることなく、シリアスなテーマを最後までシリアスに描き切った是枝裕和監督の手腕は賞賛こそすれ、どんな観点や文脈からも非難されるべきではないと思います。

 さらに感心させられたのは、子役も含めた、俳優陣の素晴らしい演技で、まるで超一流の室内楽演奏を聴いているような、親密で滋味豊かで、それでいて作為性を感じさせない、その見事なアンサンブル演技には、そこにカメラがあることをしばしば忘れさせてくれるくらいでした。

 夏の海水浴における幸せな場面をピークとして、明るい長調は不吉な短調へと変化し、血ではない別の何かで繋がっていた(疑似)家族がひとつの出来事をきっかけにその「何か」を見失っていきます。映画の最後は、映画が始まるよりももっと前の振り出し地点に戻ったと言えるのかもしれません。

 優れたアート作品と同じく、『万引き家族』もまた、決して自己完結することなく、胸掻きむしられるようなエンディングの痛切な余韻とともに観る者の心にいつまでも残り続けます。

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by ok-computer | 2018-09-23 02:08 | 映画 | Trackback | Comments(0)

『カメラを止めるな!』

 低予算ゾンビ映画かと思ったらさらにあらず、これはメタメタなメタ映画!(←ホメてます)

 映画についての映画であり、家族についての映画であり、ものづくりに携わるすべての人に向けたラブレターのような映画。チームでひとつのモノを作り上げるようなことをした経験のある人(あるいは物事がうまくいかないことを他人のせいにしてしまいがちな人)であれば感じ入る(恥じ入る)ような箇所をたくさん見つけることができるのではないかと思います。

 冒頭37分のワンカット・シーンはたしかに見事で、一体どこまで続くんだろう?という緊張感もあって一気に作品の世界に引き込まれてしまいますが、この映画の真価が(さらに)現れてくるのは後半部分で、ワンカット場面における「?」という部分を詳らかにする一方で、その衒いのない映画讃歌には涙を禁じ得ませんでした(ホントに泣いた!)。

 話題の映画にも関わらず、地方のシネコンでは平日ということもあってか、観客は10人程度。静寂に包まれた館内で、途中からは我慢しきれずひとりで大笑いしていました(そして、最後には泣いた)。これからの方はできるだけ人が多い劇場で観ることをオススメします。上映後に拍手が起こったという報告もありますが、一本の素晴らしい映画を通して場内が一体となるような体験ができるかもしれません。



by ok-computer | 2018-09-18 19:59 | 映画 | Trackback | Comments(0)

最近観た映画(「バードマン」「アメリカン・ハッスル」など)

最近観た映画の感想を。

『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』
サブリミナル的に挿入される冒頭の2カットとエピローグ部分を除いて、映画全体が途切れることのない(疑似)ワンカットの長廻しになっているという構成に加えて、再起を賭けた舞台のオープニング・ナイトを控えた俳優の不安や焦燥が次々と視覚化されていくというスーパーリアリズムの手法も全編で用いられた、いかにもアレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督(『アモーレス・ペロス』『バベル』)らしい外連味たっぷりな演出。ストーリーそのものではなく、それを伝達するのに使われる、奔放で刺激的なイメージ(と音)の連なりによって観る者を揺さぶってくる。結果、特別な映像体験として心に残る。

『アンチクライスト』
ラース・フォン・トリアーの作品だから、ということである程度覚悟はしていましたが、なかなかに不快な映画でした。『メランコリア』や『ドッグヴィル』など、トリアー監督の映画には好きなものもありますが、作品の出来が良くないと(肌に合わないと)観る者に嫌がらせするためだけに作ったのではないか?と思わせてしまうところがあります。スーパースローモーションを用いた非常に美しい場面もあり、観る価値など全くない!とは断言できないところもこの監督の悩ましいところであるのですが…

『マンチェスター・バイ・ザ・シー』
こんな描写が物語的に必要なのだろうか?というシーンが続くが、そんな一見不要にも思えるシークエンスの連続が主人公の不安定さを徐々に炙り出してゆく。エンディングまで観た後に最初のシーンに戻ってみると、饒舌な主人公がそこには居て、何とも言えないような気分になる。ミシェル・ウィリアムズが両作品に出ていることもあるけれど、マーティン・スコセッシの『シャッターアイランド』(好きな作品)とテーマ的に似通ったものを感じた。

『アメリカン・ハッスル』
『世界にひとつだけのプレイブック』(←意味不明の邦題)は個人的にはイマイチでしたが、この作品はデヴィッド・O・ラッセル監督が本来の才気溢れるスタイルに回帰したようで最高でした。開巻早々、衝撃的なハゲデブ姿を披露するクリスチャン・ベールに度肝を抜かれるうえに、そんな彼がエイミー・アダムスとジェニファー・ローレンスという滅茶苦茶セクシーなふたりから愛されるという設定には有り得ない!と感じてしまうわけですが、映画が進むにつれて、その主人公(心臓疾患持ちで分裂症気味の詐欺師)に頑張れ!権威に負けるな!ジェニファー・ローレンスとは別れろ!(ちょっと勿体無いけど)と感情移入してゆき、妙にハイテンションな登場人物たちに翻弄されているうちに、あれよあれよとすべてが落ち着くところに落ち着いてしまうという見事な作品。クリスチャン・ベールとエイミー・アダムスとを結びつけるキューピッドがデューク・エリントンだというのもクールな、今回のベストワン!

その他、『アバウト・タイム〜愛おしい時間について〜』と『地球は女で回っている』も観ました。『地球は女で回っている』(これも意味不明な邦題)は再見でしたが、最初観たときに少し違和感を憶えた部分(ウディ・アレンが汚い四文字言葉を話したり、全編においてゴダールみたいなジャンプ・カットが用いられている)が馴れのせいもあって薄まって、ニュートラルに観ることができました。これは最上のウディ・アレンではないかもしれませんが、すぐれて典型的なウディ・アレン映画。やはり好きです。

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by ok-computer | 2018-08-18 23:03 | 映画 | Trackback | Comments(0)

『はじまりのうた BEGIN AGAIN』、『スポットライト 世紀のスクープ』など

年末年始にかけて、久しぶりに色々映画を観たのでその感想を。

『はじまりのうた BEGIN AGAIN』
ジョン・カーニー監督が、『ONCE ダブリンの街角で』の舞台をニューヨークに移してリミックスした如き作品だが、前作に劣らず素晴らしい。ニューヨークの街角におけるフィールド・レコーディングによるアルバム作りの一連のシークエンスが作品の白眉。映画の中で音楽が鳴らされれば鳴らされるほど人間関係が改善されていくのが面白い(笑)『ONCE ダブリンの街角で』と同じく、引っ付きそうで引っ付かない男女関係の描き方はカーニー監督の名人芸!

『スポットライト 世紀のスクープ』
サラッと一定の距離を置いて描くことによって、衝撃的な内容を際立たせる手法が素晴らしい。減点法だとほとんどマイナス点の見当たらない作品。巨悪にも怯むことのなくぶつかっていくジャーナリスト。部下からの突き上げや、読者や団体からの反発が予想されても真正面から受け止める上司、どこかの美しくてすごい国とは大違いだ・・・・・(笑)

『キャロル』
トッド・ヘインズ監督が『エデンより彼方に』でも試みた、往年のハリウッド・スタイルのデコレーションのなかに、その当時では考えられなかった(表に出ることの無かった)性的マイノリティの命題を挿入して、人生の価値観を問う。退屈寸前なまでに勿体ぶった描き方だが、そのたっぷりとした行間のなかで自身を重ね合わせたり、そこに様々な意味合いを垣間見ることができれば楽しめる。ラストシーンの台詞のない表情だけの演技と、その後に余韻を引き摺らずスパッと暗転するのが素晴らしい。

『ミッドナイトクロス』
邦題は意味不明。原題は『Blow Out』で、タイトル・内容ともに、アントニオーニの『欲望(Blowup)』のへのオマージュになっている。映画はB級というより、C級と言ったほうが良さそうな劇中劇から始まって眩暈がしそうになるが、その劇中劇が作品のなかで何度か繰り返される度に意味合いが変わって、ラストでは切なくも、映画史に残るような偏執狂的な名シーンへと変奏されていく。分割画面、パンフォーカス、室内での俯瞰ショット、360度回転カメラ、クレーン撮影による長廻し、クライマックスでの大スローモーションなどなど、映像テクニックの博覧強記ともいえるようなブライアン・デ・パルマのカメラワークがたっぷりと楽しめる。(個人的には)『愛のメモリー』『フューリー』と並ぶ、デ・パルマの三大傑作のひとつであり、ジョン・トラボルタ一世一代の名演技を観ることもできる(笑)

他には、インド映画の『きっと、うまくいく』も良かった。途中あまりに涙が出てしまって、何度もビデオを止めなくてはいけなかったよ(笑)

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by ok-computer | 2018-01-21 15:16 | 映画 | Trackback | Comments(0)

『インターステラー』

『インターステラー』を観ました。
ずっと前からハードディスクに録画してはいたものの、3時間弱という上映時間にビビって、なかなか踏ん切りがつかなかったのですが、知り合いの方からの勧めもあって、ようやく観ることができました。

まず開巻早々現れるのは、周りをトウモロコシ畑に囲まれた、まるで『フィールド・オブ・ドリームス』みたいな1960年代風アメリカの風景で、SF映画と聞いていたのになんで?となるわけですが、それが異常気象と食糧難で滅亡の危機に瀕している近未来の地球の姿だということがだんだんと分かってきます(それを更なる未来から回想する形式になっていることも)。食糧難で二次・三次産業よりも一次産業が重要視されるようになると、ライフスタイルまでもが過去の様式へと回帰するという描写がなかなか面白いです。

中盤以降は、人類を救うために宇宙空間で奮闘する主人公たちの活躍が描かれてゆくので、比較的安心して(?)SF的世界観に浸ることができますが、「『2001年宇宙の旅』を意識した」という監督のクリストファー・ノーランの話からも分かるように、物語は複雑な様相を帯びてきて、『2001年』を超えてみせよう!という意気込みが画面からも伝わってくる一方で、「相対性理論と量子論を統合した重力理論を完成させる」などという話になってくると、ぼくにはチンプンカンプンで、さらには「事象の地平線」「特異点」「ワームホール」「五次元」といったキーワードが散りばめられたディテールに関してはまったく理解することができませんでした。
しかし、理解できないながらも退屈することもなく最後まで目が離せないのはやはりクリストファー・ノーランの力量によるもので、その映像は理屈を超えて観る者に迫ってくるものがあります。というか、むしろ理屈を分かっている人の方が後半の展開がご都合主義的に見えてくるかもしれないのですが、その辺りに到ってはもう人知を超えた領域にまで踏み込んでしまっているので、何が正解かはもちろん誰にも分からず、そこを虚構の力を借りて、張り巡らされた伏線を回収しつつ、物語を(そして人類を!)救ってみせるところにこの映画の最も感動的な部分があるのではないかと感じました。
クリストファー・ノーランはデビュー作の『フォロウィング』と『プレステージ』が好きで、『メメント』と『ダークナイト』は苦手、という相性が良いのか悪いのか測りかねる監督さんですが、これは気に入りました。

ところで、ストーリーとは関係なく、「うわっ、マット・デイモン!」とビックリして(あるいは、笑って)しまうあのシーンは狙ってやっているのでしょうか!?

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by ok-computer | 2018-01-06 18:45 | 映画 | Trackback | Comments(0)

『スター・ウォーズ/最後のジェダイ』

『スター・ウォーズ/最後のジェダイ』を観ました。

第一作(エピソード4)を8才のときに封切映画館で観たことは、子ども時代の一番強烈な映像体験だったこともあって、何度も観返したりするようなマニアではないものの、『スター・ウォーズ』にはそれなりの思い入れがあります。

さて今回の映画ですが、最初の一時間半ほどは、ぼくが苦手な『スター・ウォーズ』の側面(クリーチャーが一杯出てきて、テーマパークに迷い込んだような趣き)が強くて、どうなることかと不安でしたが、後半は挽回して一気に盛り返したように思います。

『ゴッドファーザー』シリーズでよく使われるような、複数のストーリーが同じリズム感でクライマックスに向かっていくところには盛り上がらずにはいられませんし、塩の惑星クレイトの戦闘シーンにおける、戦闘機が通過すると白い地面にドローイングのように赤い軌跡が描かれていくのは非常に美しい眺めでした。

他にも、ルークとの対決シーンでのカイロ・レンのライトセーバーが燃え盛る十字だったこと(キリストとユダ?)や、(前作で不評だった)ファースト・オーダーのナチス的なイメージの使用が今回の作品からは一掃されたとか、フィンがモテモテなこととか、色々あるのですが、これから観る方もいらっしゃるでしょうから、この辺りで。

というわけで、(おこがましくも)採点すれば、前半6点、後半は10点満点、という感じでしょうか。何より『フォースの覚醒』のときの○○・○○とは違って、ルーク・スカイウォーカー、およびマーク・ハミルに対する敬意が感じられたのがよかった。

ただ、『スター・ウォーズ』シリーズの未来への明るい希望(萌芽)を感じさせる一方で、失ったものの大きさを感じずにいられないのも今回のシリーズの特徴ではありますねー。

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by ok-computer | 2017-12-19 16:03 | 映画 | Trackback | Comments(0)

『ブレードランナー 2049』

オリジナルのテイストを引き継ぎながら(ずっと降り続く雨、そして今回もジャポニスムがあちらこちらに)も、格段にスケールアップした内容で、人間VSレプリカントという図式から、人間VS旧レプリカントVS新レプリカント(さらにはAIのホログラムも)へと、さらに複雑化する状況のなかで、魂と記憶の命題をめぐる、思索的・哲学的な領域にまで踏み込んでゆきます。哲学とはまさに自分探しの旅でもありますが、思っていた(信じていた)自分と本当の自分とが違っていたときの衝撃といったら!

映画は悠然としたテンポで進み、タルコフスキーの作品に通じる(荒地に聳え立つ一本の枯木のイメージは、タルコフスキーの『サクリファイス』へのオマージュでは?)ようなドゥニ・ヴィルヌーヴ監督のタッチには、大衆小説がいきなり純文学へと変化したような趣さえありますが、どちらをとるかは好みの問題でしょう。個人的には前作の軽薄な感じが少し懐かしくもありましたが・・・とは言え、もはやどこまでがアナログでどこからがデジタルなのか分からないスペクタルかつ美しい映像世界と、重低音ノイズを効果的に使用した音響に劇場で身を委ねるのは何とも贅沢で、素晴らしくも非日常的な時間を過ごさせていただきました。

ところで、前作における一番の論争点だった「デッカードはレプリカントか否か?」については今作でもやはり解決していないような・・・?

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by ok-computer | 2017-10-27 21:26 | 映画 | Trackback | Comments(0)

フランソワ・オゾン『しあわせの雨傘』

▼フランソワ・オゾンの『しあわせの雨傘』を鑑賞。▼原題は『Potiche』というもので、劇中の台詞のなかで何度も登場し、「飾り壺」という風に訳されている。▼主人公の夫が経営しているのが傘工場であることと、カトリーヌ・ドヌーブの代表作(決して最高傑作ではないが)『シェルブールの雨傘』に引っ掛けた邦題になっているわけだが、ストーリーを見事に象徴している原題を少しでも生かしてほしかったという気が(映画を観終わった後には)してしまう。▼フランソワ・オゾンは長編デビュー作『ホームドラマ』を観て、「すごい監督が現れた!」と大いに期待したものだが、それ以降コンスタントに映画を制作してはいるものの、デビュー作から飛躍的には作品の向上が見られないという印象が(個人的には)ある。▼しかしながら、歌と踊りがあって、カラフルな色彩があって、性的に放埒で、ストーリーにはツイストを効かせた、この『しあわせの雨傘』には、かつての『ホームドラマ』や『焼け石に水』などに通じる最良のオゾンのテイストが楽しめる。▼前述の『シェルブールの雨傘』に加えて、ドヌーブとジェラール・ドパルデューの共演ということでフランソワ・トリュフォーの『終電車』にオマージュした部分もあるのだろうが、そればかりに気を取られているとどんどん予想をはぐらかされていく。▼これは両作品でドヌーブが演じたような古風な女性像から脱皮していくことを戯画化されたコメディタッチで描くドラマなのだ。▼その予想を裏切っていく(あるいは予想を超えていく)展開のダイナミズムみたいなものが、この作品を際立たせる原動力となっている。▼ちなみにこの映画はGyaO!で視聴したのだが、10/29までの期間限定無料配信なので、興味のある方は早めに是非。

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by ok-computer | 2014-10-25 21:48 | 映画 | Trackback | Comments(0)

最近観た・聴いたもの。(『モナリザ』、ルー・リード)

▼ニール・ジョーダン監督の『モナリザ』を再鑑賞。▼出来不出来の激しい監督だが、これは傑作の部類で、同傾向の『クライング・ゲーム』より先に制作されているぶん、こちらのほうが新鮮な驚きがある。▼主人公を演じたボブ・ホスキンスがなんとも素晴らしい。▼刑務所帰りの冴えない中年男なのだが、裏稼業に関わっているだけあって、ときに暴力を厭わない鋭さを垣間見せたりするのも自然な感じに体現している。▼運転手が少女を救おうとするストーリーの共通性によって、『タクシー・ドライバー』と比較されたりもするが、シリアスな要素が散見するにも関わらず、『モナリザ』にはとぼけたユーモア感覚が全体を貫いているために、『タクシー・ドライバー』と違って、最後に爽やかなエピローグを付け加えても違和感を覚えるということはない。▼町並みのくすんだ色合い、(コーヒーではなく)やたら紅茶が出てくるところ、主人公の変わった友人・・・ぼくの好きなイギリス映画のテイストが揃っている。▼海を渡ってアメリカで映画制作するとニール・ジョーダンの本領が発揮できないのも、こういったイギリスの背景がその魅力の一端を担っているせいなのかもしれない。

▼ルー・リードの『Berlin』を聴く。▼このアルバムとの付き合いは30年近くになるだろうか、ずっと日本盤のアナログLPで聴いていたが、最近CDでも買い直した。▼おそらく多感な頃に聴いたレコード、ぼくの場合は15、6歳の頃に聴いたレコードというものはずっとその人の人生に付いて回るのだろう。▼『Psychocandy』『Hatful of Hollow』『Pet Sounds』『Revolver』『The Velvet Underground and Nico』そして『Berlin』、これらはぼくのなかで特別な位置を占め続けている。▼もし15歳のときに聴いていたのが、エリック・ドルフィーやチャールズ・ミンガスであったら、マーラーやシュニトケであったら、もちろん違ったことになっていただろうが、現実にはこれらのレコードをぼくは聴いていたのであって、そのことを誇りにしているわけではないが、身の丈にあった素晴らしい出会いであったと思う。▼このアルバムで特筆されるのは、なんといっても「The Kids」「The Bed」「Sad Song」と続くラストの3曲。▼この3曲の本当の素晴らしさを充分に味わうには、アルバムを最初から最後まで聴かなくてはいけない。▼そして、何度聴いても感動してしまう。▼きっと、人が誰かのことを記憶し続けるには、そのよすがとなるものが必要なのだと思うが、芸術家はそのことを一番良く知っている。▼ぼくにとってはルー・リードといえば『Berlin』であって、その音楽が聴こえる限り、ぼくのなかで彼は生き続ける。

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by ok-computer | 2014-10-07 16:39 | 映画 | Trackback | Comments(0)