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音楽の海岸

カテゴリ:アート( 132 )

『Depth 2019』(大野浩志・岡本里栄・山崎亨)@ Oギャラリーeyes

 山崎さんによれば、作家の組み合わせはギャラリー側のチョイスで、「仲良し3人組ではない」とのことですが、微妙にシンクロ、またはリンクする部分があったのが面白かったです。また、ぼくがお伺いしたときには、3人とも在廊されていて、それぞれに興味深いお話を聞けたので以下にメモします。


山崎亨さん
『眼のドライブ-Lose focus』(1・2枚目)『眼のドライブ-此処彼処』(3枚目)

 ぼくだけでなく、ギャラリーに来る多くの方に「これは絵ですか?」と質問されていました(笑)。部屋の明るさとライティングの調整によってモノクロに近い環境を整えながらもカラーで撮影している、そして越前和紙にインクジェットでプリントしていることなどが、その絵画のような質感をもたらしているのかもしれません。

 作品は、紙による造形物を写真で撮ったものを提示しているのですが、なぜ立体作品そのものを展示しようとしないのですか?と質問したところ、「20年ほど立体作品に取り組んでいたが、結局その立体作品もカメラで撮って残していくことに気づいた」、また「写真のほうが多角的に表現できる」とのことでした。立体作品を、写真という本来フラットなはずのメディアに収めながら、ボカシを効果的に使って改めて立体的に表現する、というメタ構造的な提示方法が見る者に考える機会を提供することになり、刺激的だと感じます。


大野浩志さん
『在り方・現れ方 2019A-5』(4枚目。2019A-6だったかも?)

 棒を配した画面が真っ黒に塗られており、よく見るとその画面上には、夜の海に立つさざ波のようなスジが入っている。ご本人に「これは何を表現しているのですか?」と聞けば、何を表現するのではなく、自然とそこに現われるものを提示しているという旨のことを仰っていて、技法的には、支持体(木)に、ペインティングナイフを使って、油絵具(黒だと思ったが、プルーシャンブルー)で「縦に」何度も何度も繰り返し重ね塗る。そうすると(不思議なことに)水面に立つ波のような模様が「横に」現われるとのこと。

『BLUE 18-A1、BLUE 18-A2』(5枚目。18-B1、18-B2だったかも?)

 紙とアクリル板にアクリル絵具を塗って、デカルコマニーの手法で作成されたイメージを、紙の上にアクリル板を重ねる形にして展示。自然発生の葉脈のような模様が印象的。デカルコマニーなのに、左右のイメージに大きな差異があるのは、紙を乾かすときに水平にするのと、立てて乾かす(つまり、絵具が流れ落ちる)ことによって生まれているとのことでした。


岡本里栄さん
『Pillow and towels』『Summer blanket』(6・7・8枚目)『Blue striped shirt』(9枚目右)

 これまでの岡本さんの諸作品からは想像できなかった、「青」が一際目を惹きます。しかも岡本さんだけに、その「青」は普通の青であるはずもなく、「岡本ブルー」とでも表現したくなるようなものです(ご本人はコバルトに近い色を作ったと仰っていましたが)。

 今回、青を使ったのは、そもそもシーツが青だったこともあるが、この6月に奈良で開いた展覧会以来、対象を引き寄せるのではなく、自身の作品を対象に引き寄せるというのもいいのではないか、と思ったとのことです。

 また、以前「人」をモチーフに描いていたときには、肖像画とは違うことを強調したくて横画面を採用していたが、今回のように「身体の抜け殻」を表現するときには「人の不在」を感じてもらいたくて、あえて肖像画のような縦画面を採用している、というのも興味深く、特に此処に記しておきます。

 以前、岡本さんにお会いしたときに、「作品の原動力となっているのは怒りだが、描いているときは無心になっている」という旨のお話を聞いて、それをずっと考え続けているのですが、なるほど、この「青」は無心の境地を表現したとも受け取れるのですが、写真ではなく、実物を見ていると、そのタッチはますます奔放に、荒々しいと言ってもいいようなものになっていることが確認できて、「怒り」から「無心」への昇華の過程をそこに見ることもまた可能だと思いました。

 岡本さんといえば、アキーラとユポという、画材と支持体の目新しさが一番に取り上げられがちですが(また取り上げやすいのですが)、そろそろ論じる側がその点を克服しなければならないレベルに達しつつあるのではないでしょうか。岡本さんにははっきりとは伝え損ねたのですが、『Summer blanket』と『Pillow and towels』に関して言えば、贔屓目抜きに、傑作だと思います。

 ※写真はスマホで撮ったものです。

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by ok-computer | 2019-08-04 13:14 | アート | Trackback | Comments(0)

『Neo SEED HANKYU ART FAIR』(阪急うめだ本店 祝祭広場)

 大阪芸大、京都造形芸大、近畿大、嵯峨美術大の出身者と現役学生による作品の展示と販売のイベント。どちらかと言えば後者が重視されているような印象で、実際のところ、その決して安くはない(←私見)値付けにも関わらず「飛ぶように」売れていました。

 個人的に気に入ったのは、小谷くるみさん(写真1・2枚目)、松岡柚歩さん(3・4枚目)、山本捷平さん(5・6枚目)の作品で、3人とも京都造形芸術大学の出身者です。

 小谷さんの作品は、キャンバスを「窓」に見立てて、何者かが指で触れたような痕跡が結露したガラスの表面(=画面)に残されている(=表現されている)というもの。鏡面仕立てになっていて、前に立つと鑑賞者の姿がぼんやりと映り込むのも面白いと感じました。寡聞にして存じませんが、同じような作品が他に無いのであれば、凄い個性だと思います。作品は完売でした。

 また、山本さんの『reiterate -radial purple-』(5枚目)は、イベントのメイン・イメージとして使われていた作品で、デジタルではなく、自作のローラーによるアナログ的手法でイメージの反復をされているところが特徴です。

 なお、ぼくが観に行ったときには丁度、髙林宣城さん(絵)と福永直也さん(ヒューマンビートボックス)によるライブペイントが開催されており、こちらも大盛況でした。

 詳述はしませんが、いろいろと考えさせられる部分がありました。一つのモデルケースとして興味深いイベントだったと思います。

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by ok-computer | 2019-07-01 11:57 | アート | Trackback | Comments(0)

『Yakushigawa Chiharu Solo Exhibition』(京阪百貨店守口店)

 薬師川千晴さんの作品を特徴付ける要素のひとつとして、テンペラ絵具を素材に用いていることが挙げられますが、「右手と左手のドローイング」シリーズは、そのメディウムの魅力が最もシンプルな形でヴィヴィッドに表現されたものだと言えるでしょう。

 また、今回その「右手と左手のドローイング」のみに絞った展示となっているのは、会場となった、京阪百貨店守口店2階にある<ナナイロフルール ナナイロミュージアム>のスペース的な制約もさることながら、その形態から「小さな教会」をイメージした薬師川さんが、人が祈るときに両手を合わせる仕草から着想を得た「右手と左手のドローイング」が相応しいと感じたことに由来しています。

 幸運にも在廊されていた薬師川さんとお話しすることが出来て、作品の制作手順をお伺いしたのですが、まず使いたい色を一つ決めてから、その色に合うもう一色を選び出し、筆は使わず、文字通り右手と左手に絵具をつけて、それらを同時に支持体の上に押し出すようにして塗り付け、混じり合わせてゆきます。一枚の作品を描くのにかける時間は早く、数十秒から数分くらいだそうですが、同じ色を使って、時には20枚以上、今回は3〜8枚程度描いた後に、最も気に入ったものをピックアップする、とのことでした。

 さらに、作品の制作動機も尋ねてみたのですが、「何も作らなければ、手から零れ落ちる砂のように、ものごとは忘れ去られるままなので、その時間の痕跡として作品づくりに臨んでいる」という旨のことを仰っていて、確かにそれは、本来<空間芸術>であった絵画の中に時間軸を取り込もうとする試み、あるいは、作家が作品と向き合った時間というものはそもそも画面に内包されているのではないかという、かねてから薬師川さんが語っていることともリンクして、なるほどと得心が行く思いがしました。

 ところで、仕事をする上で「これをする必然性は何か?」ということは誰もがよく聞かれる(=詰問される)ことだと思うのですが、アートの世界でも例外ではなく、「この色を使う理由は?」「この技法を用いる必然は?」「この作品の歴史的コンテクストは?」などなど、厳しく問われているのではないでしょうか。果てには、その理論武装された彼方に作品が存在してしまっているような印象を受けるものもあったりしますが、それに較べると、もしかしたら薬師川さんの作品は唯美主義的に見えてしまうのかもしれません(勿論、薬師川さんご自身は先に述べたような疑問に逐一答えられるのですが)。

 しかしながら、こんなことを書けば素人丸出しで、一笑に付されるのを覚悟で言えば、それ自体で屹立している「美」が目の前にあるというのに、そこに更なる意味性を求めてしまうなど、それこそ野暮なことではないでしょうか。無論、この「右手と左手のドローイング」だけを以てして、薬師川さんの作品を語り得るには充分ではありませんが、その本質の一旦を伝えていることには変わりありません。曰く言い難くとも、この小さな<聖堂>の中で、薬師川さんが「私の宗教画」だと語る作品を前にして、ひたすら「美」に魅入られているほうが余程いいことではあるまいか、と感じられたのでした。

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by ok-computer | 2019-06-30 23:59 | アート | Trackback | Comments(0)

岡本里栄・葛本康彰「お留守番プロジェクト vol.14 さとやま-ギャラリ」(Gallery OUT of PLACE NARA)

 岡本里栄さんと言えば、独特の筆致とユニークな色彩の選択によって、グループ展の中に一点混じっていたとしても「これは岡本さんの作品に違いない!」と確信させるような際立った個性を確立されています。更に近年の作品では、ユポ紙にアキーラ(水性アルキド樹脂絵具)を使って描くことを創作の中心に据えて、余白を残すことも厭わない、そのタッチはますます自由に大胆になっているように思われます。

 今回は二人展という形式になっていますが、どちらかと言えば、メインは岡本さんで、企画をされた葛本さんはキュレーター、あるいは舞台監督的な立ち位置にある印象を受けました。実際のところ、葛本さんがこの展覧会のためにご用意されたステイトメントにも、自身の作品に関する言及はほとんどなく(発砲スチロールを溶解させることによって成形する、魅力的な作品も展示されているというのに!)、彼が長年関わっている、生駒市高山町での里山芸術企画における、自然と人為の「動的」な交わりという視点から、改めて岡本作品を読み解くという内容になっていて、「なるほど」と得心がいくところがたくさんありました。以下に引用します。

<岡本さんの絵を初めて見たのは10年くらい前でした。遠くから見ると横たわる大きな顔が、近づいて行くと目の前で解体されてゆくように無数の鉛筆のタッチへと変貌しました。勿論作品が変化している訳では無く、鑑賞者が自らの足で作品との距離を変えることが、作品の見え方を全く違ったものへと変化させるのです。(中略)この「距離を取ると見えていたものが、近づくと見えなくなって別な存在として感じられる」という事を、僕たちの日常の人の捉え方に重ねると、「別な存在」とは肌のぬくもりや息遣いのような視覚以外で知覚している情報なのでしょう。自ら動けない絵画でありながら、岡本さんの作品は鑑賞者のその場の動きや日常の知覚と連動し、動的に振舞うのです。>

 岡本さんの近作から、個人的に想起したのは晩年のムンクの作品です。正直なところ、精神的な病を克服した晩年のムンクには、その憑き物が落ちると同時に、作品からも緊張感が失われていったというイメージを持っていたのですが、岡本さんの、大胆でありながらも繊細な、そのタッチと色彩と余白とを眺めていると(こう書くと大仰に感じられるかもしれませんが)逆説的に晩年のムンク作品を見直す契機を与えてくれたようにも思います。

 アキーラとユポという、画材と支持体の変化とともに、最近の岡本さんが描いてきたのは、脱ぎ捨てられた靴下や、ぐちゃぐちゃのシーツ、干されたレインコートなどの、岡本さん曰く「私の身体の抜け殻」でしたが、里山に取材した今回の展覧会では、現場に打ち捨てられた(?)遮光ネットや、焚き火の後、洗濯ロープに干された軍手などをモチーフにしています。里山という「自然」に加えられた「人為」の抜け殻という意味で、それらは創作的にはやはり地続きの関係性にあります。しかしながら、これまで人物や、その人物が纏っていた衣服などを描いてきた岡本さんのモチーフが、葛本さんとの交流や里山芸術との出会いによって、図らずも「社会的に開いた」ものへと変化したことは注目すべきでしょう。

 今秋には里山における野外作品展に出品されることも決定しており、ギャラリーを飛び出した岡本さんの作品がより多くの人の「知覚」に触れることを願っています。

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by ok-computer | 2019-06-23 13:12 | アート | Trackback | Comments(0)

『「街と、その不確かな壁」と…。』@あまらぶアートラボ

 川田知志さんにとって、初の個展となった『Open Room』(アートコートギャラリー)では、「壁から剥がした壁画」というコンセプトのもと、見事に脱構築的な作品を披露されていましたが、そこから半年足らず、今回は迎英里子さんとの二人展という形式ですが、新たな展開と進化(=深化)の過程を感じさせます。

 今回は会場のあまらぶアートラボがある尼崎市内の「小学校」「中学校」「結婚式場」「履物屋」の4つの施設(現在、元の用途では使われておらず、解体されるのを待つだけ、という共通項がある)をモチーフして、それぞれに異なる4つのアプローチを用いて作品を制作。

 【room1】の展示では、元中学校の壁を使って「再構成」した作品と、新しい材を使って、元履物屋の壁を「再現」した作品とが並んで設置されています。会場に流れていたビデオの中の川田さん曰く「仕切っていた壁を、仕切っていたこと(用途)ではなく、仕切っていた状況を考えて制作した」とのことで、壁の実存的な不確かさではなく(何と言っても、それは目の前にあるのだから!)、概念的な不確かさを、実在の重みとともに提示した作品だという印象を受けました。その意味では、(展覧会タイトルの由来である)村上春樹というより、安部公房の知的遊戯めいた寓話性に近いものを感じます。

 【room2】の「Open Room # 元結婚式場」では、会場にあったカーテンを用いた作品を制作するにあたって、トルソーをモチーフにすることを思いついたとのことで、素材に(より)立体的なかたちを与えることによって、不確かな確かさとでも言うべき、実存の重みを獲得することに(ここでもまた)成功しているように思えました。

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by ok-computer | 2019-03-03 12:12 | アート | Trackback | Comments(0)

「2019・ZERO展」@大阪市立美術館

 「2019・ZERO展 」より、河原和彦さんの『spectrum_color』(1〜7枚目)と東陰地正喜さんの『三連窓』(8〜10枚目)。

 『spectrum_color』は、元々Ture Dure (つれ・づれ)のPVとして制作されたもので、素材となったビデオ映像の真ん中の一部分を、スマホ画面をピンチアウトするみたいに引き延ばすことで生成されるそのイメージは単純化されたもののようでいて、複雑な様相も同時に垣間見せる。河原さん曰く「ゲルハルト・リヒターの(「アブストラクト・ペインティング」シリーズのことか?)影響を受けた」とのことで、なるほど様々な色の織り成すラインが移ろいゆく佇まいには共通するものを感じるが、河原さんの作品はより直感的で、偶発的な現象を捉える即興性に重きを置かれているために、それが音楽との絶妙な親和性を生み出している。

 東陰地さんの『三連窓』は、ぼくも拝見したことがある旧作のイメージを活用しながらも、二つの映像の配置の妙と、そこに万華鏡的な仕掛けを投入することによって、リ・メイクではなく、リ・モデルすることに成功しているように思えた。

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by ok-computer | 2019-02-28 23:19 | アート | Trackback | Comments(0)

大阪芸術大学卒業制作展2019(大阪芸術大学50)

 昨年から卒展とオープンキャンパスの同時開催形式になっていますが、今年はオーキャン部分はやや縮小されて、卒展作品をじっくりと見れるようになったのは良かったと思います。

 透明回線や小松原智史さんの作品を初めて見たのも大芸大の卒展でしたし、本当に様々な作品が並んでいる中から、「これだ!」と思わせてくれるような才能に出会える期待を胸に、ここ10年ほど毎年楽しみに拝見させていただいています。

 あくまでも個人的には、ですが、今年の卒展で印象的だった作品を以下に紹介していきます。

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 川上大志さんの『22歳児』(1・2・3枚目)。少年ヒーローをモチーフに、また、卒展ということで「旅立ち」をテーマにしたという油画。面で描いた立体的な趣に加え、下塗りが見える部分では切り絵的なテイストも感じられます。ヒーローたちが、街(社会)に心ならずも吸い込まれていくように見えるのは、卒業にあたっての作者のアンビバレンツな思いが伝わってくるよう。卒業後は何と警察官になるそうですが、ぜひ絵も続けてほしいです。

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 笹尾彰樹さんの『Crafts man』(4・5・6枚目)。ホットワーク技法による、ガラスの上部に顔が接着された作品。デスマスクをガラス工芸的に解釈したように思えなくもないような。重たそうな、土台のセメント部分も含めて、およそ実用性の感じられない唯美主義的な潔さも好ましい。

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 瀨﨑彩乃さんの『それでも私は』(7・8枚目)。美術学科学長賞受賞。社会の荒波にのまれて絵を描いてきた自分が埋没するのではないかという危機感と、それでも絵を描きたいという抗いの気持ちが込められています。満員電車から着想を得たそうですが、クローゼットを描くことを通して、それを間接的に表現しながらも、その不安感みたいなものを顕在化させることに成功しているのが素晴らしいと思います。クローゼットにある服はほとんどがご自身のものですが、友人の服もいくつか混じっているそうです。服の袖から絵具が滴っているのにはどんな意味性があるのですか?と聞いたところ、このドリッピングには賛否両論あるが、見る人に絵画であることを意識してもらいたかったのと、色んな風に解釈してもらいたくて敢えてそうしたとのことでした。傍にいらっしゃったので、お話しすることができたのですが、ご本人もとても感じの良い方でした。

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 南美咲さん『ルージュの伝言』。タイトルが古い!と思ってしまうのはオヤジだからでしょうか?(笑)右目はすべて隠れていますね。「キッスは目にして」を思い出しました(さらに古い!)

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 上田理世さん『suzuro』。デザイン学科イラストレーションコースの方。カメをモチーフにした連作の一部。共通するカメ愛を確認できたような気がしました(笑)




 塚田隼人さん『映像に身体を包み込まれるインタラクティブな胎児体験』。デザイン学科デジタルメディアコースの方。今ならきっとアートサイエンスに入学していたのでしょうねー。指に当てたセンサーで体験者の心拍を捉え、その拍動を使って映像を変化させる作品です。作品とのエージェンシー(=体験者の心拍)と、それに反応する、ややノイジーなラインで構成された幾何学的な映像、そしてアンビエントなBGMとが、ピタっとリンクするのではなく、良い意味で齟齬をきたすことによって、知覚のズレみたいなものを感じさせてくれます。子どもにも人気の作品でした。

 また、写真が撮れなかった作品の中では、一人暮らしの女性をテーマにした、写真学科の濱緋里さんの「Please Love Only half」が、写真集のページに丸い穴を開けた仕掛けが面白い、その装幀も含めて良かったと思います。

by ok-computer | 2019-02-11 20:26 | アート | Trackback | Comments(0)

『The ACG Collection ー 大西康明、新平誠洙、水野勝規』@アートコートギャラリー

 今年のぼくの展覧会初めは、アートコートギャラリー(大阪市北区)の「The ACG Collection」でした。

 展示作品は、大西康明さんの『circulation of water』、新平誠洙さんの『Hell Screen』、水野勝規さんの『monotone』と『sky record』の、全部で4点だけでしたが、どれも非常に見応えのある作品で、3人ともコレクション展では勿体無いなぁ!と感じました(次回は個展をお願いしたい)。

 以下、個々の作品の感想を記してゆきます。

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 新平誠洙さんの『Hell Screen(地獄変屏風)』。6コマのモーフィングのような連作絵画。元々は京都市立芸術大学内のギャラリー@KCUAで開催された、田村友一郎さんの個展『叫び声/Hell Scream』のための作品で、京都市立芸術大学とは所縁の深い、田能村直入と富岡鉄斎という二人の文人画家をモチーフにしたもの。時間と空間、さらにそれらに潜む軋み(ノイズ)を、多様式主義的に様々なアプローチで探求する新平さんのベクトルと見事に合致して、これはなかなか素晴らしいのではないでしょうか。

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 新平さんも、後述の水野さんと同じく、時間経過を作品の主題の一つにしています。原理的に時間経過を内包する映像作品とは異なり、絵画に時間軸をいかに取り込むかは、そのまま、現代において必要とされる絵画とは?という命題へと繋がるような気がします。

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 水野勝規さんの『sky record』。作家の自宅より見上げた空を、4K機材で定点撮影した映像作品。青空に飛行機雲が伸びてゆく様を通して時間の経過を観る者に意識させます。途中何度か映像が静止する瞬間があって、じっと見つめていると、その度に息が止まりそうになってしまったのですが、ギャラリースタッフに聞いたところ、意識的に静止させているのではなく、機材の問題じゃないんですかねー、とのこと。本当のところはどうなんでしょう?

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 大西康明さんの『circulation of water』。宙空に吊るされたポリエチレンシートが、展示空間内の空調や人の動きを察知して、目に見えない空気の流れを可視化する。大きな装置によって微細な動きを感知しようとするコンセプトが秀逸。響き合うマクロとミクロとでも言うべきか。大西さんは同時期に開催している『5RoomsⅡ—けはいの純度』(神奈川県民ホール)では、カラフルな紙テープを使った、新境地とも言える作品を発表しており、今後も目が離せません。

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 大西さんの『circulation of water』は、作品の中に入ってもいいそうで、その様子を撮影してみました。子どもを連れてきたら、喜んで遊びそうですね。まあ、黒装束の物静かな女性スタッフが鎮座するアートコートのあの雰囲気でそれが出来れば、の話ですが(笑)



by ok-computer | 2019-01-15 21:15 | アート | Trackback | Comments(0)

Sakurako Fujii Solo Exhibition “nude”(@DMOARTS/大阪市北区)

イラストレーターで作られたデジタル部分に加えて、アクリル絵具で彩色・鉛筆で描画。
筆のストロークやタッチがそのまま身体のパーツに用いられているのが特徴。
キャンバスの白と彩色された白との使い分け、空間と余白の使い方の巧みさが目を惹く。

多分に感覚的で、描くのも速いとご本人は仰っていましたが、そこには熟考の痕も伺われます。
この軽やかな表現を見ていると、デジタルと手描き併用の必然性とか
作家の内発的動機について問うのは野暮というか、
それよりも若手作家の作品に接するときの喜びでもある、限りない可能性の萌芽を、
藤井さんの作品の中で豊かに広がる、その余白部分に見る思いがしました。

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by ok-computer | 2018-12-03 12:40 | アート | Trackback | Comments(0)

林勇気 『遠くを見る方法と平行する時間の流れ』(@FLAG studio/大阪市西区)

 ランダムに選んだ著作権フリーのビデオのタイムラインを、ドローイングのラインのように、上から下へと滴るドリッピングのように、はたまた、スタジオに吊るされたフィルムのように構成した作品。

 映像作品のアーカイブと時間軸という視点から、映像とは何か、メディアとは何か、デジタルデータとは何かを再考する、ここ最近の林さんの取り組みの流れの中に位置付けられる作品。動機と作品との有機的な繋がり、そしてそれを踏まえた上で、ただただ美しいと言うしかないイメージ。

 林さんの展示を見るのは、「電源を切ると何も見えなくなる事」(京都芸術センター)、「i want you あなたがほしい」(あまらぶアートラボ A-Lab)に続いて3回目ですが、通底するテーマを維持しながらも、毎回新規で新奇なイメージを提示されるので、いつも期待以上の深い感銘(と、見に来て良かった!という思い)を与えてもらっています。今回初めて(少しだけ)ご本人とお話しすることができましたが、とてもキンチョーしました(笑)

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by ok-computer | 2018-12-02 23:59 | アート | Trackback | Comments(0)