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音楽の海岸

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チャールズ・ミンガス『Blues & Roots』

▼チャールズ・ミンガスの『Blues & Roots』を聴く。▼随分前に「クラシックを聴く際に「これはロックか否か?」ということを判断基準にする癖がある」というようなことを書いたが、ジャズについても同じことが言える。▼マイルスやオーネット・コールマンは「ロック」的なジャズ・ミュージシャンであり、デイヴ・ブルーベックやデクスター・ゴードンはあまり「ロック」じゃないミュージシャンということになる。▼そして、チャールズ・ミンガスは言うまでもないかもしれないが、ぼくにとって理想に近いような「ロック」的アーティストである。▼ジャズ界の裏話を集めたビル・クロウの『ジャズ・アネクドーツ』のなかで、友人に対しては良い人物だが、自分が(特に人種差別的な)酷い扱いを受けていると感じると、途端に気難しく攻撃的な人物になるということで、電話で音楽関係者(白人)に口汚く罵声を浴びせるミンガスの姿に出くわした友人のエピソードが紹介されていた。▼それを読んで、「音楽から受ける印象そのまんまの(ロックな)人なんだな~」と妙に納得したことを覚えている。▼ミンガスはジャズ界でも屈指のソングライターのひとりだと思うのだが、いわゆるスタンダード・ナンバーになりえるような甘いテイストの作品はほとんど残していないため、その実力不相応に過小評価されていると思う。▼『Blues & Roots』はミンガス絶頂期と言ってもいい1960年にリリースされた作品で、当たり前のように大傑作なアルバムだが、決して安寧としたヤワなものではなく、聴き手を鼓舞し、挑発し、活を入れるような音楽なのだ。▼嘘だと思ったら、YouTubeで冒頭の「Wednesday Night Prayer Meeting」だけでも聴いてほしい。▼ミンガスの咆哮もばっちりと決まった、その血湧き肉踊る音楽を聴くと「さあ、月曜日からまた頑張ろう!」という気分になる。▼(たとえ現実には、月曜の午前中のうちにそんな気分は完全に消え去っているのだとしても)

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by ok-computer | 2014-10-27 08:41 | 音楽 | Trackback | Comments(0)

ヤナーチェク『シンフォニエッタ』

▼ヤナーチェクの『シンフォニエッタ』を聴く。▼ご存知、村上春樹の『1Q84』のなかで何度も登場し、その存在が急激にクローズアップされた作品。▼映画ならともかく、実際に聴くことのできない小説で取り上げられたことによって音楽が注目を浴びるというのも珍しいが、そこは村上春樹の影響力の大きさを改めて感じるとともに、『セロニアス・モンクのいた風景』のあとがきにおいて「音楽の持つ素晴らしさが、どのように文章で表現され得るかということに、一人の書き手として昔から個人的に深い興味を持っている」と書いている春樹氏自身の意思(意図?)が浸透してきていることの証左なのかもしれない。▼今回聴いたのはチャールズ・マッケラス指揮ウィーン・フィルによる演奏のもの。▼ぼくがヤナーチェクに興味を持ったのは村上春樹ではなくミラン・クンデラの影響なのだが、そのクンデラが『裏切られた遺言』のなかで(『シンフォニエッタ』と『タラス・ブーリバ』は)「もっともポピュラーな(平均的な音楽愛好家にはもっとも近づきやすい)作品として、この二つはほとんど定期的に同じレコードに入れられる」と書いているように、やはりこのCDにはその二つ(と『利口な女狐の物語』の組曲)が一緒に収められている。▼ぼくは『シンフォニエッタ』をヤナーチェクの作品のなかでは民族色がやや強く出ている作品だと感じている。▼これをきっかけとしてヤナーチェクの世界に入ったのであれば、ぜひ2つある弦楽四重奏曲、それに彼の素晴らしい一群のオペラ作品にも触れてほしいと思う。▼主要オペラについては、この『シンフォニエッタ』と同じく、マッケラスとウィーン・フィルがデッカに吹き込んでいる。▼今ではヤナーチェクのオペラを(しかも原語ヴァージョンで)大手レコード会社が一流指揮者とオーケストラを使って録音するなんて考えられないことで、今後も大きな価値観の転覆でもなければそれは実現不可能だろう。▼<むかしむかし、音楽は芸術文化と考えられていて、レコード会社も採算を度外視してでもその録音を後世に残そうとする気風・気概みたいなものがありました・・・・・>

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by ok-computer | 2014-10-26 20:14 | 音楽 | Trackback | Comments(0)

フランソワ・オゾン『しあわせの雨傘』

▼フランソワ・オゾンの『しあわせの雨傘』を鑑賞。▼原題は『Potiche』というもので、劇中の台詞のなかで何度も登場し、「飾り壺」という風に訳されている。▼主人公の夫が経営しているのが傘工場であることと、カトリーヌ・ドヌーブの代表作(決して最高傑作ではないが)『シェルブールの雨傘』に引っ掛けた邦題になっているわけだが、ストーリーを見事に象徴している原題を少しでも生かしてほしかったという気が(映画を観終わった後には)してしまう。▼フランソワ・オゾンは長編デビュー作『ホームドラマ』を観て、「すごい監督が現れた!」と大いに期待したものだが、それ以降コンスタントに映画を制作してはいるものの、デビュー作から飛躍的には作品の向上が見られないという印象が(個人的には)ある。▼しかしながら、歌と踊りがあって、カラフルな色彩があって、性的に放埒で、ストーリーにはツイストを効かせた、この『しあわせの雨傘』には、かつての『ホームドラマ』や『焼け石に水』などに通じる最良のオゾンのテイストが楽しめる。▼前述の『シェルブールの雨傘』に加えて、ドヌーブとジェラール・ドパルデューの共演ということでフランソワ・トリュフォーの『終電車』にオマージュした部分もあるのだろうが、そればかりに気を取られているとどんどん予想をはぐらかされていく。▼これは両作品でドヌーブが演じたような古風な女性像から脱皮していくことを戯画化されたコメディタッチで描くドラマなのだ。▼その予想を裏切っていく(あるいは予想を超えていく)展開のダイナミズムみたいなものが、この作品を際立たせる原動力となっている。▼ちなみにこの映画はGyaO!で視聴したのだが、10/29までの期間限定無料配信なので、興味のある方は早めに是非。

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by ok-computer | 2014-10-25 21:48 | 映画 | Trackback | Comments(0)

セロニアス・モンク『Solo Monk』

▼セロニアス・モンクの『Solo Monk』を聴く。▼NHK教育テレビの「2355」の金曜日「夜更かしワークショップ」の背景に流れているのが、このアルバムに収められている「I'm Confessin' (that I Love You)」。▼番組は毎回とは言わずとも寝る前になんとなく見ることがあるし、モンクのアルバムも以前から所有していたが、その二つが結びついていなかった。←『Solo Monk』をそれほど聴き込んではいないことがバレバレですね。▼改めて聴いてみて、モンクのピアノ・ソロの作品のなかでは一番洗練された響きを持つアルバムで、端的に言ってしまうと、ピアノ上手くなっていないか?という印象を受けた。▼プロデューサーはマイルス・デイヴィスとの仕事で有名なテオ・マセロで、彼の制作方針みたいなものも影響しているのだろうか。(もっとも、モンクがそれほど簡単にプロデューサーの言うことを聞くとも思えないのだが)▼マイルスとモンクを同時期にプロデュースしていたマセロには猛獣使いみたいな才覚があるのかもしれない。▼「I'm Confessin' (that I Love You)」も、モンクのオリジナル4曲(そのうち2曲は新曲)も良いが、個人的にお気に入りなのが「Everything Happens to Me」。▼フランク・シナトラをボーカリストに迎えたトミー・ドーシー楽団が初録音であったこの曲を、モンクは奇妙な間合いを持ったヘタウマの極致(失礼)のような演奏で聴かせる。▼ゴツゴツとした無骨な肌触りでありながら、痛切な情感がそのサウンドからどうしようもなく滲み出てくる。▼「君は選り分けることの重要性を知らなくてはならない。加えて、自分が演奏していないものの価値を、空白を用いることの、音楽をやり過ごすことの価値を知らなくてはならない。ただ余計なところをつまみ出せばそれでいいんだ」(『セロニアス・モンクのいた風景』よりモンクの言葉)

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by ok-computer | 2014-10-24 22:41 | 音楽 | Trackback | Comments(0)

村上春樹編・訳『セロニアス・モンクのいた風景』

▼村上春樹編集・翻訳による『セロニアス・モンクのいた風景』を読了。▼様々な文献からモンクについて書かれた文章を集めて一冊の本に仕立てあげたもの。▼少なくともモンクのレコードを少しでも聴いておかなければ、村上春樹が好きだからというだけでは少々つらい読み物かもしれない。▼読み始めた当初は、抜粋した寄せ集めの文章になんとなく物足りなさを感じていたが、読み進めていくうちに寄せ集めた文章のなかから徐々に、そして多角的に立ち上ってくるモンクの音楽や人となりに魅了されてしまった。▼決して人付き合いの得意とはいえなかったモンクだが、その音楽は人を惹き付けてやまない魅力を持っていたようだ。▼下積み期間が長く、順風満帆とはいえなかったモンクのキャリアにおいて、それでもいつも必ず彼をサポートしてくれるミュージシャン仲間や後援者がいたことが分かる。▼モンクに関する様々な文章を時系列に並べることによって、モンクのデビューから死に至るまでを順に追っていけるようになっている編集が素晴らく、変則的な伝記本といっていいかもしれない。▼なにより書き手と翻訳者のモンクに対する愛情がひしひしと伝わってくる、読み終わるとセロニアス・モンクやジャズのレコードを聴かずにはいられなくなる一冊だ。

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by ok-computer | 2014-10-23 17:56 | 文学・本 | Trackback | Comments(0)

ファラオ・サンダース『Karma』

▼ファラオ・サンダースの『Karma』を聴く。▼コルトレーンの晩年の作品、『Kulu Se Mama』や『Meditations』といったアルバムが苦手な人にとっては、ファラオ・サンダースの名前を聞いただけで拒絶反応を起こすかもしれない。▼あの首を絞められた断末魔の叫びのようなサックス・プレイを延々と聴かされてしまうのかと。▼ところが、コルトレーンの死の2年後にリリースされたこのアルバムでは部分的にはフリージャズの要素も垣間見られるが、サンダースがすでに新しい境地へと移ったことをはっきりと感じさせる。▼1曲目の32分にもおよぶ「The Creator Has a Master Plan」では助奏の後、フルートによって奏でられるリフが楽曲のイメージを決定づける。▼それはフリーやサイケデリックというより、ブラジリアン・テイストの入ったフュージョンのような音楽で、クラブでかかったとしても違和感がないだろうし(多彩で華やかな打楽器の音は踊るのにピッタリかもしれない)、後にパット・メセニーが『Still Life (Talking)』で試みたような音楽をずっと以前に先取りしたものだともいえる。▼もちろん、ファラオの掠れたような独特なテナー・サックスの音は随所で聴くことができるが、ここでは音楽が安寧なものに陥らないためのちょうど良いアクセントとして機能しているように思う。▼続く「Colors」は前曲の強烈な印象からリスナーをクールダウンさせてアルバムを閉じる、優しい雰囲気を持った楽曲。▼コルトレーンのアルバムを聴いていただけでは、ファラオ・サンダースにこのようなオーガニックなメロディを書く才能があったとはまったく想像もつかない。▼最近聴いたなかでは最も驚かされ、かつ最も興奮させられた一枚。

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by ok-computer | 2014-10-20 00:00 | 音楽 | Trackback | Comments(0)

坂本龍一『Sweet Revenge』

▼坂本龍一の『Sweet Revenge』を聴く。▼教授のオリジナル・アルバムのなかでも最低ランクに位置する平凡な作品というイメージを持っていたが、改めて注意深く聴いてみて、それほどには悪くないなと思い直すことができた。▼とは言うものの、やはり傑作アルバムとは言い難い。▼タイトル曲(映画『リトル・ブッダ』用に作られたが、ベルトルッチにボツにされてしまった曲)以外にはいつものクラシカルな要素がほとんど見受けられず、J-POPと洋楽、ダンス・ミュージックとボサノヴァと映画音楽との折衷主義的なもので、素材の良さを生かしきれていない幕の内弁当のようになってしまっている。▼アレンジやボーカリストの選択次第ではもっと良い曲になっていたはずなのに、という印象を受けるものが多い。▼「Psychedelic Afternoon」(日本サッカーのアンセムとしても有名)はアート・リンゼイの不安定なボーカルが楽曲の良さを伝えきれていないし、「Interruptions」のラップはバックトラックの素晴らしさを邪魔してしまっている。▼さらに言えば、ホリー・ジョンソンもロディ・フレイムも高野寛も教授の世界にはミスマッチだと思う。▼しかし、それらを乗り越えれば(かなりの忍耐力と脳内補完を必要とはするが)最終的には素材の良さのようなものを聴き取ることができるようになる。▼ボーカルをどのように扱うかということは坂本龍一の大きな命題なのかもしれないが、たくさんのボーカリストやラッパーを迎えたこのアルバムにおいても、最も優れた瞬間はタイトル曲と「Anna」(教授とボサノヴァとの初めての素晴らしい邂逅)というボーカルの無い楽曲にあることからしても(さらに、彼の最大のヒット曲「Energy Flow」もインスト曲であることを指摘してもいい)答えはすでに出てしまっているような気がする。

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by ok-computer | 2014-10-19 10:05 | 音楽 | Trackback | Comments(0)

シェーンベルク『ピアノ協奏曲』

▼ある日本人作曲家が雑誌の対談のなかで「シェーンベルクが音楽を駄目にした」というような内容のことを喋っているのを目にして、ぼくは思った。▼譜面を読むことが出来ても、楽器を弾くことが出来ても、必ずしもすべての音楽を理解できるというわけではないのだと。▼ぼくはそれまでも人生の多くの時間を音楽を聴くことに捧げてきた。▼そしてそれ以降、さらに音楽を無心に聴くことに邁進するようになった。▼譜面も読めず楽器も弾けないぼくみたいな人間が音楽を(少しでも)理解するようになるには音楽を、ただ音楽そのものを聴くことが必要なのだと理解したのだ。▼音楽理論など一切分からずとも、シェーンベルクのピアノ協奏曲を耳を澄まして聴いてみれば、その作品のユニークな美しさを感じ取ることはそれほど難しいことではない。▼シェーンベルクは自ら編み出した十二音技法によってドイツ音楽の支配力はこれから数百年間確保されるだろうと信じていた。▼ある特定の芸術ジャンル(=クラシック音楽)の衰退をたった一人の人物に転嫁するなど馬鹿馬鹿しい話だが、もしも責任が何処かにあるとすれば、それはシェーンベルクではなく、彼の発明を発展させることも、新たなる発明を発見することもできなかった後進の(先の発言をした人物も含む)作曲家たちなのではないだろうか。▼シェーンベルクはぼくに音楽の魅力はその旋律(だけ)にあるのではないことを教えてくれた。▼主旋律だけを追いかけるのではなく、音の響きそのものに耳を傾けること、音楽を全体として捉えること。▼それは音楽を損なうどころか、音楽の本当の美しさにぼくを導いてくれたのだった。

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by ok-computer | 2014-10-15 00:01 | 音楽 | Trackback | Comments(0)

ギア・カンチェリ『風は泣いている』

▼ギア・カンチェリの『風は泣いている』を聴く。▼衝撃的なフォルティッシモと叙情的な旋律とが交互に襲ってくる構成が特徴的な作曲家で、この曲も例外ではないが叙情性のほうが勝っており、結果彼にとって最も有名な作品となっている。▼冒頭ピアノの一撃の後、ソロ・ヴィオラによる息の長い哀感漂う旋律が続くが、この主題は作品を通して繰り返され、作品のイメージを決定付けているように思う。▼20世紀後半、現代音楽のハードボイルドな響きに倦んだクラシック・ファンによって、アルヴォ・ペルトやヴァレンティン・シルヴェストロフといった作曲家とともにもてはやされたのも必然だったのかもしれない。▼カンチェリという人は常に新しい道を切り開いていくのではなく、自らが築いた様式美をひたすら磨き上げていくタイプの作曲家なので、世に出てきた当初に感じられた新鮮さは今現在では失われているが、だからといって、この『風は泣いている』の価値が減じるというわけではない。▼この作曲家が到達した境地を最も優れて表現した楽曲としてこれからも記憶され続けるに違いない。▼今回聴いたのは、スヴャトスラフ・ベロノゴフの独奏とグルシチェンコ指揮モスクワ国立響による演奏で、交響曲第1番と第7番も併録されたお得なCDだが、7番はカット有の完全版ではないことが玉に瑕。

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by ok-computer | 2014-10-13 01:37 | 音楽 | Trackback | Comments(0)

R.E.M.『Fables of the Reconstruction』

▼R.E.M.の『Fables of the Reconstruction』を聴く。▼おそらく彼らのアルバムのなかで最も過小評価されている作品ではないだろうか。▼メンバー自身がこのアルバムを気に入っていないという話が広く知れ渡っていたということもその理由のひとつになっていたと思われる。▼しかし、リイシュー盤に掲載されたピーター・バックのライナーノーツによると、彼らがこのアルバムを嫌っていたというのは誤解であり、ピーター個人としてはこの作品をとても気に入っているということが明らかにされている。▼ただ、今回改めて聴くにあたって「Can't Get There from Here」以外にどんな曲が入っていたか全く覚えていなかったくらいだから、ぼくとしてもなんとなく印象の薄いアルバムだという認識でいたことは告白しなければならない。▼聴き直してみて思ったのは、このアルバムにおけるピーター・バックのアルペジオを多用したジャングリーなギター・プレイがザ・スミスのジョニー・マーを彷彿とさせる瞬間がいくつかあったことで、たしかに当時からR.E.M.とスミスはよく比較されたりしていたが、ようやく実感としてその意見を理解することができた。▼突出した楽曲は見当たらないのだが(そのことがアルバムの印象を弱くしているのかも)、逆に埋め草的な曲もないので、良い意味でフラットにアルバムを聴き通すことができる。▼かつてペイヴメントのスティーヴン・マルクマスは初期R.E.M.のファンであったことを公言する一方で、その当時の最新作であった『Automatic for the People』に収録された「Everybody Hurts」のダサさを嘆いていたが、たしかにインディー/オルタナ・ロック的なサウンドが聴かれるのはこの『Fables of the Reconstruction』までであって、それだけにコアなファンにとっては偏愛の対象となりやすいのだろう。

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by ok-computer | 2014-10-11 23:24 | 音楽 | Trackback | Comments(0)