人気ブログランキング |

音楽の海岸

<   2018年 10月 ( 6 )   > この月の画像一覧

『search/サーチ』

 映画全編がPCモニター内だけで展開する画期的な映画として話題の作品ですが、『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』みたいな新奇な方法論を提示するだけの映画だったらどうしよう?と思いましたが、杞憂だったようで、革新的な手法を、新人の監督(アニーシュ・チャガンティ)とは思えないくらいプロフェッショナルな手腕で娯楽作品として昇華させた掛け値なしに素晴らしい映画でした。

 YouTube、Facebook、Messengerのビデオチャット、iMessage、Tumbler、FaceTimeなど、複数のアプリがPC上で素早く展開することによって、通常の映画の短いカット割の積み重ねと同じようなスピード感が生まれ、さらには、PCやスマホだけでなく、配信ニュースのヘリからの空撮や監視カメラなど、様々な映像素材のミックスによって、画面が単調になることを巧妙に避けるだけでなく、映画的なダイナミズムを獲得することにも成功しています。

 映画は、なりすまし・フェイクニュース・被害者に対する心ない自己責任論など、今の日本との共通する課題を差し挟みつつ、仮想と現実、ON(学校・職場)とOFF(プライベート)などがネット空間を媒介として交差し、それらが溶解しつつある現代における人間関係の在り方、なかでも親子関係について、サスペンスフルなドラマのなかで検証・考察されてゆきます。

 LINEやiMessageなどのアプリでは伝わらない、面と向かって人に伝えるべきこと(そうでないと伝わらないこと)は今でもたくさんあると思いますが、逆に面と向かって言えないことが、メッセージアプリだからこそ伝えられることもあるでしょう。この映画は後者の使い方が抜群に上手い。映画のクライマックスには台詞はなく、画面によるメッセージのやりとりだけで最もエモーショナルなシーンが生み出されています。たくさんのウィンドウやアプリを起動したままシャットダウンすると最後に残るものは何でしょう?今いちばん面白い映画、必見!です。

f0190773_16160897.jpg

by ok-computer | 2018-10-29 16:16 | 映画 | Trackback | Comments(0)

平野啓一郎『空白を満たしなさい』

 平野作品を読み進めてきて、個々の作品とは別に、それぞれの作品を縦断し、読み解く鍵として「愛し直す」「生き直す」というテーマがあることに段々と気づいてきたが、これはそれらが最もラジカルな形で顕われた小説かもしれない。この作品の主人公・土屋徹生は、死後3年経って突然「生き返った」男である。小説を読んでいて、こんなことをよく思いつくなー、と感じることがあるが、この作品を読んで思うのは、よくこんなアイデアで一冊の本を書き切ってしまえるなー、ということで、一歩間違えばトンデモ本になりかねないような題材を扱って、これだけの小説内リアリティを構築できることにまずは驚嘆させられる。

 小説は「なぜ生き返ったのか?」ということについては不思議なくらい淡白である一方で、死んでから3年後に生き返ったことで、その空白の期間に対する本人と家族や友人・知人との時間的・感情的なギャップ、また免許証が失効したり、死によって支払われた生命保険が「生き返った」ことで返金義務が発生するといった、想定外の事例に対する社会制度上の問題などを丁寧に辿ってゆく。文体は明晰であるとともに平易なもので、いつもながらの難解な漢字が時々出てくることを除けば、平野作品のなかでは最も読みやすい部類に入るのではないだろうか。これは複雑な(あるいは微妙な)テーマを分かりやすく述べていく、という意図ともに、単行本化の前に連載されていたのが『モーニング』という漫画雑誌であることを意識したものなのかもしれない。

 平野啓一郎は『日蝕』でもキリスト教を取り上げているが、「よみがえり」(この作品では「復生者」という言葉が用いられる)という題材についてキリストの「復活」を連想しないことは難しい。主人公が(2年でも4年でもなく)3年後に生き返った、という設定には、キリストが「3」日後に復活したことを意識させるし、その後に起きる消失という現象もキリストの昇天になぞらえることができる。さらに主人公が死の真相を知る重要な場面における「生きるために死ぬ」という概念(マーラーの『復活』みたいだ!)もキリスト教的文脈で捉えるといくらか理解できるような気がするし、佐伯という謎めいた人物はキリストに対するユダ的な存在であること、また主人公の妻もマグダラのマリア(原罪から解放される存在として)に重ね合わすことなどもできそうだ。

 この作品に関しては平野氏が提唱する「分人主義」ばかりにスポットライトが当てられるが(そして、それは間違いではないが)、それとは違った角度からの分析も可能ではないかと書いておきたい。『空白を満たしなさい』の文体や物語構造はシンプルであるのだが、その解釈は幾通りにも出来るようになっている。その意味で、やはり重層的で複雑な、典型的な平野作品であると言える。

 光に満ちた最終章においては、ランボーの『地獄の季節』の(あの一節の)イメージまでもが引用され、その筆致は平野作品にしては珍しく、限りなくウェットなもので、凝縮された生と死の描写のなかで、永遠は一瞬となり、一瞬は永遠となる。ストロークの痕に残されたものはほろ苦く、すべからく人生は期限付きのものであることを思い知らされる。

f0190773_16092946.jpg

by ok-computer | 2018-10-28 16:09 | 文学・本 | Trackback | Comments(0)

アニャ・オルバチェウスカ、林延子、マスダマキコ『きみが2時間後に見る雲をみている(そこに風景が辿り着いたとき)』@KOBE STUDIO Y3(神戸市中央区)

 マスダマキコさんと言えば、ワークショップユニット「マキコムズ」の一員としてのご活躍が有名ですが、今回はソロで、また本来の(と言っていいのか分かりませんが)造形作家としての一面が覗けるということで楽しみにしていました。

 この展覧会は2011年に林延子さんとアニャ・オルバチェウスカさんがドイツのブレーメンで出会って始まったプロジェクトで、第三回となる今回からマスダさんが加わっています。

 具象に心象を重ねて描くアニャさん、コンセプチュアルな林さん、そしてマスダさんの作品はその二人の作品を縫い合わせるかのように、はたまた言葉尻にちょっとした可笑しみを添えるかのように配置され、シンクロしつつも完全にリンクするわけではない、3人の絶妙で有機的なバランスが心地好い展覧会でした。

f0190773_08550340.jpg
 手前の作品はマスダマキコさんの「水面」。ブロンズの下部は旧作からの流用で、今回の展覧会用にオブジェを加えています。その上部は画用紙をミキサーにかけて柔らかくしたうえで糊や針金などを使って造形されています。「これは雲ですか?キノコですか?」とは聞けなかった(笑)

f0190773_08560202.jpg
 マスダさんの「観光箱」。窓の外の風景がボックスの内部に逆さまに映し出されます。今回の展覧会のテーマでもある「風景」を意識して制作されたとマスダさんは仰っていましたが、タイトルの「観光箱」を「sight-seeing box」と英語に訳してみると、より意図が分かってくるような気がしました。

f0190773_08562565.jpg
 手前はマスダさんの「paper cloud」、奥はアニャさんの「引力の庭を満たして十四夜」。「paper cloud」はマキコムズでの経験がマスダさんの作家としての活動にアウフヘーベンされたかのような興味深い作品でした。

f0190773_08564969.jpg
f0190773_08570495.jpg
 林延子さんの「stone and tree」。アニャさんとマスダさんに送ってもらった風景写真から石と木を取り出した(移し替えた?)と思しき作品。写真はモノクロですが、木の緑や土の茶色などが水彩のラインとして描かれています。林さんに詳しくご説明いただいたのですが、よく分からんかった(爆)。でも、とても気に入った作品です。分からないままに楽しむことも重要だよね、と(笑)

f0190773_08573310.jpg
 マスダさんの「island」。画用紙とクラフト紙による作品で、クラフト紙は彩色されています。写真では分かりませんが、穴の開いたクラフト紙の中心部には水が薄く張られていて、タイトルの意図(と上下オブジェの関係性)が分かるようになっているとともに「水面」という作品との繋がりが生まれています。

f0190773_08575790.jpg
 林さんの「curtain」。林さんの部屋のカーテンを描いた連作で、光(風景)の移ろいが表現されています。マスダさんがお気に入りの作品だそうです。

f0190773_08582243.jpg
 マスダさんのスタジオ。とっても綺麗!雲の試作品がたくさんあって、試行錯誤の後が伺えます。

f0190773_08584829.jpg
 マスダさんの机の上にあった俳句。有名な作品なのかも?と後で調べようと思って写真を撮ったのですが、マスダさんに尋ねたら自作だとのことでした。アップしたら怒られるかもと思いましたがアップします(笑)




by ok-computer | 2018-10-22 09:02 | アート | Trackback | Comments(0)

平野啓一郎『ドーン』

 純文学系の作家によるSF小説と言えば(個人的には)安部公房の『人間そっくり』が思い出されるが、「夢みているのは、文学のなかでの、SF精神の復権」と言いながらもその実、自身の世界観を補強するパーツとして使っているのではないかという疑念が拭えない『人間そっくり』に較べると(ちなみに『人間そっくり』自体は傑作だと思ってますが)、『ドーン』は完璧なるSF小説でありながら、完璧なラブ・ストーリーでもあり、また同時に完璧な純文学作品でもあるという、平野啓一郎の離れ業的な筆力に(またしても)圧倒されるような思いがした。
 
 注目すべきなのは、『ある男』で骨格の中心を成す「なりすまし」という事象がすでにこの作品で取り上げられていることで、過去と地続きの(現在の)自分である限り、未来の可能性も限定されたものにならざるを得ないという絶望感、あるいは、もっと単純に誰もが持つ変身願望が、近未来の高度情報氾濫+監視社会の中で(「可塑整形」という仮想の技術に裏付けされながら)小説内リアリティをもって描かれている。

 小説の中に出てくる、「散影 divisuals」「可塑整形」「添加現実 Augmented Reality」「代替銃」「ロボノート」「メルクビーンプ星人」といったトピック/アイテムは、『マチネの終わりに』や『ある男』で時事・社会問題が扱われていたのと等価値・等量を持って、作品の随所に配置されるが、そんなSF的小道具に彩られた近未来の世界は夢物語ではなく、(むしろハードな)それらを透過することによって、婉曲的に現代社会が抱える問題を照射し、ひとつひとつ考察されてゆく。

 単行本(ソフトカバー)で500ページ弱という、分量だけで言っても手強い小説には違いないが、胸を打つ最終章まで読み終えてみると、よくこれだけ(たくさん)の題材が練り込まれた重層的な物語を(たった)これだけの分量に収めたものだと感心するのは『マチネの終わりに』と同様だった。

 テーマの多層性、物語の多層性(有人火星探査機内でのドラマ、地球帰還後にクルーが巻き込まれるアメリカ大統領選を巡るドラマ、小説共作サイト<ウィキノベル>という物語内物語(小説全体がウィキノベルであるという見方もできる))、人物の多層性(分人主義 dividualism)が、単に積み重ねられるだけでなく、3Dレイヤーの如く、縦横に交差さらには奥行きの方向も加わり、最終的には大聖堂のような(あるいは表紙のモノリス?のような)巨大な建造物が立ち現れてくる。その中で祈られるのは、やはり「愛」。失われた子どもへの愛、冷えきった夫婦の愛、閉じられた宇宙空間での「不適切な」愛、すべての愛は失われていくように思われる。しかし、小説が不時着してしまいそうなその直前に、物語を書くという、あまりに(あまりにも!)小説的な行為を通して、主人公(佐野明日人)は光明を見出していく。<未来は常に過去を変えていく>、『マチネの終わりに』で花開くテーマがすでにここに顕われていることに感動を禁じ得ない。

<ただ後ろを振り返れば良かっただけのことのために、自分には一億キロもの往復の道のりと、十年もの時間が必要だったのだと、彼は思った>

 それはまるで無重力空間における綱渡りのような曲芸。愛し直すこと、愛し続けること。小説が描くその高みに目が眩みそうだ。

f0190773_20560848.jpg

by ok-computer | 2018-10-15 20:57 | 文学・本 | Trackback | Comments(0)

薬師川千晴「散光/サーキュレーション」@黒壁スクエア周辺(滋賀県長浜市)

 薬師川さんの絵画の持つ「引力」に引き寄せられるように長浜まで行ってきました。

 初めて実物を見るその作品からは、練り込みテンペラの鮮やかな発色がもたらす軽やかさと同時に、それとは真逆の、おそらくは支持体へのこだわりから生まれるのであろう、実存の重みのようなものも感じられました。

 「一対」をめぐる様々なアプローチを通して生み出されてきた薬師川さんの作品のなかには、「軽さ」と「重さ」という、やはり一対になる要素が含まれているのではないでしょうか。加えて、そのふたつは対立するものではなく、今回も出品されている『右手と左手の絵画』というシリーズにおいて、右手と左手につけた異なる2色の絵具が画面の中で混じり合わさるように、薬師川さんの作品にあっては、軽さと重さの概念はミステリアスに、そして多義的に共存しているように思われます。

 一概に「平面作品」とカテゴライズされるものでも、紙を何枚も重ねたり、キャンバス生地を木枠に貼り付けたり、メディウムを使って画面を盛り上げたり、はたまたルーチョ・フォンタナみたいにキャンバスを切り裂いたりすれば、それらはもう立体作品だとも言えるのかもしれません。

 紙を木のパネルに貼り付けてジグソーで加工したり、支持体(紙)を大きく波打たせて蛇腹状にしたりする薬師川さんの作品を見ていると、絵画は「平面」でもあり「立体」でもあるということ(これもまた「一対」の概念)を改めて意識させられます。それは「あらゆるものから質量が失われつつあるこの世界」で絵画がその実存を獲得する(獲得し直す)ための薬師川さんの試みであるのでしょうし、その過激な手法にも関わらず、最終的にプレゼンテイションされるのは(喜ばしいことに)洗練された美しいものであることに感嘆しながら(そしてその引力に抗うことなく)ずっと見惚れ続けていました。

※この展覧会は、河野愛さん、度會保浩さんとの3人展です。
f0190773_12405796.jpg
「右手と左手の絵画」。2018年の新作3点が出展されています。筆は使わず、右手と左手につけた異なる2色の絵具を同時に塗り付け、画面(シナベニア)上で混じり合わせています。

f0190773_12443244.jpg
やり直しの効かない一発勝負の作品だそうですが、個人的にはどことなく「意識の流れ」を感じさせる作品です。

f0190773_18265025.jpg
「絵画碑 ♯20 -絵具の密度と引力-」。これも今回の展覧会のための新作。まず紙にデカルコマニーの手法を使って彩色し、それをパネルに貼り付けてから、ジグソーで余白を切り取っていったそうです。(作業中の映像は薬師川さんのインスタにアップされています)

f0190773_12455010.jpg
対になったデカルコマニーは隣り合っていることもあれば、離れて配置されているものもあり、ガラスの街である黒壁スクエアが会場であることを踏まえて、色とりどりに移ろっていく「万華鏡」をイメージしたものになっています。

f0190773_12463254.jpg
f0190773_12465165.jpg
色が上書きされることなく混じり合うのも練り込みテンペラの特徴だそうです。

f0190773_12471257.jpg
これは旧作の『二対の絵画碑 ♯2』。支持体が紙(奉書紙とケント紙)であるため、湿気を含んで形状が徐々に変わっていくそうで、会期中何度か薬師川さんがやって来られて調整されているそうです。

f0190773_12473238.jpg


by ok-computer | 2018-10-09 12:48 | アート | Trackback | Comments(0)

八太栄里 個展「忘れようとしても思い出せない」@アトリエ空白(大阪市北区)

アストロ温泉さんの個展「寝支度」@サロンモザイクでたまたま居合わせて、(サロンモザイクの)オーナーのコタニさんにご紹介してもらって以来、その動向をチェックしていた作家さんですが、ようやくの個展初体験です。作品が素晴らしいのはもちろんですが、会場の雰囲気や展示方法って重要だなーとも感じました。

f0190773_23242112.jpg
江國香織が短編集に付けそうなタイトル(笑)ですが、実際には、民俗学者の畑中章宏さんの著書「21世紀の民俗学」のなかから取られたそうです。

f0190773_23244221.jpg
一番右の作品では、アトリエ空白の出入り口前の街路が描かれています。一年前の風景とのことですが、今日もまったく同じ場所にまったく同じ自転車が駐輪してありました(笑)

f0190773_23251055.jpg
2階の展示風景。写真では分かりにくいですが、アクリルで彩色またはイラストが描かれている無数の小さいプラ板が天井からテグスで吊るされています。ひときわ大きな絵画は、この個展のために描かれた「旅の人」という作品です。作品、そしてその展示方法ともに2階のほうが(より)素敵だと思いました。

f0190773_23252805.jpg
これも2階の作品。右のふたつでは、わざとキズ(シワ?)のようなものが描き込まれていて、いつもと違った風景の荒涼さとも相俟って、とても印象的な作品でした。

f0190773_23265030.jpg
もう一枚、2階から。これは「きのうの光」という旧作(2014年制作)。八太さんのパブリックイメージである「写実的な風景とアニメ的な女の子」とは異なりますが、ぼくは好きな作品でした。新作のなかにこれを展示しているということはご本人も思い入れのある作品なのでは?

f0190773_23271005.jpg
これは1階。撮影はOKだけど、作品に近づきすぎたり、大写しにしないでください、とのことでしたので、アトリエの中(!)にある金木犀を入れて写してみました。

by ok-computer | 2018-10-08 23:27 | アート | Trackback | Comments(0)