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音楽の海岸

林葵衣 個展「有り体を積む」(A-LAB/兵庫県尼崎市)

 尼崎市が主催する第一回白髪一雄現代美術賞受賞者、林葵衣さんの個展。

 <声>や<足跡>など、実体の無いものに形を与えて、その作品を通してそれらが可視化されています。茹でて柔らかくしたポリエチレン樹脂を口に含んだり、口紅を塗った唇を壁に押し当てたりなどして作品が制作されていますが、ただ口に含んだり唇を押し当てるのではなく、すべて発話という行為を伴ってマチエールにトレースされているところがポイントです。コンセプチュアルな作品群ですが、アイデアと制作過程、結果としての作品との間に齟齬がなく、かつフォルムとしての美しさも兼ね備えられていて、作品を拝見していて非常に納得させられました。

 これらの作品が描く軌跡はそのまま、生の奇跡を祝福するかのようでした。

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Phonation piece -syllabary-

 ポリエチレン樹脂を口に含み、「あ」から「ん」までの50音を発声した口内の型取りをしたものが46体(実際は46音なので)並べられています。隣の部屋では、えずくようにして作品が生み出されていく制作記録映像(同シリーズ≪Phonation piece -Fureru-≫のもの)が流されていました。

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≪Phonation -Dialog-≫

 会場のある尼崎市で作家が行った様々な人との会話から抜粋し、口紅を塗った唇を壁に押し当てて発話しなおしたものです。こちらも制作映像があり、簡潔かつ研ぎ澄まされた構図で作家を捉え、フェティッシュな魅力をも感じさせる優れた映像作品となっていました。

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≪繰り返しくずれる黒 -edition2-≫

 声にまつわる作品が続いたので、これも声紋を図形化したものかと思いましたが、「画面の中央に、一直線のラインをRとEの判で引く。中央ラインの基準に沿って、上下それぞれ画面をうめていく。インクを付着させるのは1ラインにつき一度のみ。黒い文字の崩れ方を観察する」とのことで、パターン化された人のふるまいを可視化し、独自の形が与えられています。

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Phonation piece –-

 尼崎と関わりの深かった詩人、杉山平一が書いた詩「声」を発話し、型取りしたもの。カラフルな作品ですが、「ポスト」という言葉が入った箇所を発話するときには赤いポリエチレン樹脂を混ぜる、というように詩の内容とリンクして色が使われています。


# by ok-computer | 2023-03-23 17:48 | アート | Trackback | Comments(0)

藤田淑子 個展「Swaying -カーテンのゆらめき-」(Gallery 04 街区/大阪市北区)

 顔面にドレープカーテンのかかった少女「カーテンガール」がトレードマークの藤田淑子さん、作品を直に拝見するのは、昨年の「あまがさきアート・ストロール」以来です。

 描かれた人物の表情が見えないために、作品は必然的に内省的なものになるのが予測されますが、実際に作品を前にしてみて、それほど自閉的な印象は受けません。その理由には、コロナ禍期間中のマスク着用によって、顔の一部を隠すことが不自然ではない社会になったこともあるでしょうが、何より藤田さんの絵画が持つ訴求力こそが、社会に向けて開かれたベクトルを作品に与えているように思われます。この<閉じているのに開かれている>というパラドキシカルな性質が、彼女の作品の大きな魅力であると感じられます。

 私たちは日頃の生活の中で、相対する人の表情から感情を読み取ろうとします。もちろん、<顔で笑って心で泣く>ということもありますが、人とのコミュニケーションを簡潔かつスムーズに行うために、ある程度それに依拠しなくてはなりません。しかし、その表情が見えないとなるとどうするのか? おそらく、それ以外の要素(身振り手振りや声のトーンなど)から感情を憶測するしかないでしょう。藤田さんの作品では、カーテンガールとともに描かれているアイテムにその手掛かりはあって、絵画もそのように意図して描かれています。その作品の多くで見られる、「背景が何も無いことを表現している」(本人談)というバックの銀色についても、その点をさらに強調して、つまりフレームの中に(感情とは結びつかない)意味の無いものは描かれていないということが分かります。

 秋田市文化創造館のライブペイントイベントで制作された大型作品「感情のダンス」を始め、今回展示されている複数の絵画の中に「青いバラ」がモチーフとして描かれています。かつて青いバラはこの世には存在しないもの、贈るのが不可能なものとして、<不可能>や<虚構>という花言葉であったのが、品種改良の結果、本当に青いバラが生まれたことにより、花言葉が<奇跡>に変わったという事実に、藤田さんが東京から秋田に制作拠点を変えたことによる自身や作品の変化を重ね合わせたもので、今回の展覧会を読み解く大きなポイントになっていると感じられました。その他、カーテンガールが持つ水晶(クリスタル)は<涙の結晶>であり、鏡に映った目は<心眼(心の目)>だということです(無論、作者は多様な解釈を許容しています)。そして、個展のタイトルである「カーテンのゆらめき」は内なる心情のゆらぎを反映し、描かれたカーテンが物理的にゆらめくことはないものの、観る者と作者との意識下でその<ゆらめき>が共有された時、虚構が現実になるように、その作品はより大きく花開くように思われます。

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# by ok-computer | 2023-03-19 14:09 | アート | Trackback | Comments(0)

読書メモ(サリー・ルーニー『ノーマル・ピープル』、村田沙耶香『丸の内魔法少女ミラクリーナ』、ほか)

サリー・ルーニー『ノーマル・ピープル』

 コネルの母親はシングルマザーで、マリアンの家でお手伝いとして働いている。マリアンは高校では友達のいない変わり者だと思われているが、コネルはスポーツが得意で勉強も出来る学校の人気者。この二人の4年間に渡る恋愛と友情の関係が描かれていく。

 社会的な格差と恋愛における主従関係に<捩れ>現象が起きているところにこの小説のユニークさと現代性があって、勉強(二人とも優等生だ)のように努力次第でどうにかなる部分と、出自や恋愛(ルックス)のように、努力だけではどうにもならない部分とによって、人は常に他者から規定され、かつ行動を制限されているのだと思い知らされる。

 <ノーマルな人々>という実体のない概念に囚われ、それに似せようとしてみても、合わない服を無理矢理着せられているかのようで、どんどん状況が酷くなっていくマリアンに「どうして逃れようとしないのか?」と、読み手はイライラにも近い感情を抱くかもしれないが、 その答えは彼女が女性だから、ということに尽きるのかもしれないと感じた。基本的に作中に作者が出てくるようなことはなく、現在進行形で淡々と描写されていくので、字面だけ追って読んでいると、「何を言いたいのか分からない」ということなってしまいかねない。そこに何を読み取るのか、読み手の技量が問われる鏡のような小説だと言えるだろう。


村田沙耶香『丸の内魔法少女ミラクリーナ』

 標題作と「秘密の花園」が出色。
 「ミラクリーナ」の主人公は小学校3年生の時に始めた魔法少女ごっこを36歳になった今も続けている。という設定はいかにもこの作者らしいと思わせるが、<ストレスフルな日々をキュートな妄想で脚色して何が悪いんだ>とあるように、実際のところ、大人になってからの方が、現実逃避でもしなければやってられないようなことは多く、その意味で一般的な読者にも比較的共感しやすい内容ではないだろうか。

 <普通><常識><正義>といった社会的な当たり前をその作品を通して問い直すのが、村田文学の一貫したテーマであるのだが、設定があまりに突飛だと、読み手の人生には関係ない人物として上滑りしてしまいがちであるので、共感/共有できるかどうかは彼女の作品を評価する上で大きなポイントになっていると思う。そして、同じようなテーマを扱っているにも関わらず、なぜこれほどまでに作品によって好き嫌いがはっきりと分かれてしまうのか?という個人的な疑問についても、その点において説明が出来るような気がする。


ファン・ジョンウン『野蛮なアリスさん』

 インパクトのある表紙デザインだが、<You can't judge a book by its cover.>と言うべきかもしれない。

 ソウル郊外の大規模開発を巡っての投機熱を背景としながら、ある機能不全家族の内に起こった悲劇を描いていくのだが、現実と幻想、そしてそのどちらとも判然としないものが渾然一体となって、どのような構造の物語なのか、読み下すのに随分と苦労した。さらに、詩的な表現があるかと思うと、口を極めた罵倒表現も頻発して、なかなか物語の世界に浸らせてくれず、それよりも作者は、読み手を絶えず覚醒させることを意図しているようだ。格差社会における暴力の連鎖は結局のところ一番弱い者へと集中する。悲劇的なクライマックスに至って、それまでに描かれてきたすべてが有機的に、あるいは小説的に繋がってゆくのを、私たちはただ呆然と眺めるしかないのだろうか。<誰であれ、この不幸な物語の最後のページまでついてきて下さったただ一人の人であるあなたに、どうぞこの物語が苦痛すぎないものであるようにと、願います。>というのは、作者のあとがきの言葉である。


平野啓一郎「富士山」(『新潮2023年1月号』)

 らしからぬタイトル、そしてマッチングアプリで知り合った男女という設定に油断していると、最後には思いも寄らぬ地点へと連れて行かれることになる。作中の人物がどのような形で事件に巻き込まれたのかを明言せず、読者の思い込みを利用した意外性のあるステーリーテリングや、コロナ禍で話題になったハンドサイン(ハンドシグナル)の取り入れ方も実に巧みである。掌編の中ではとても解決できないような、微妙でいて考えさせられる問題を複数取り上げた多層的な作品でありながら、平野氏の近作同様、あくまでも語り口は平易で明快であり、これが今後の彼の作風の基調となってゆくのだろう。象徴的かつ一面的に語られる富士山を分人主義的に解釈することによって、主人公と作者の心情を託す結末には、もはや巨匠の境地だと唸らされた。

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# by ok-computer | 2023-03-10 20:57 | 文学・本 | Trackback | Comments(0)

わからないものをわかろうとする / 平野啓一郎『「生命力」の行方 変わりゆく世界と分人主義』

 思うに平野氏の作品校正を担当する人は毎回かなりのプレッシャーを感じているのではないだろうか。あの平野啓一郎の文章を<添削>するわけだから、少なくとも彼と同じくらいの博識さとロジカルさが求められるであろうし、下手に「ここは難解な言葉を用い過ぎていて、結果的に意味が不明瞭になっています」とでも言おうものなら、あなたは「本の読み方」というものを分かっていない、と反論されてしまいそうである。

 近年の作品では<難しいことを易しく語る>ようになっている平野氏だが、本当のところ、<難しいことを難しく考える>のが好きな人なのではないかと邪推している。本書に収められた、写真家・森山大道に関する評論など、もしかしてこれは何かのパロディなのだろうか?と感じるくらいに回りくどい表現が多くて、思わず笑ってしまったのは以下の一節    <初期から現在に至るまで、森山氏は、光の強度が即ち存在の強度として立ち現れてくる一元的に構造化された平面に、色彩という滞留的な差異の体系が混入することを頑なに拒否する作品を発表し続けてきた。>    それって、モノクロ写真ってことやろー!と私が心の中でツッコミを入れたのは言うまでもない。

 しかしながら、この過剰に婉曲的な表現が本稿においては意味を持つ。それは、<美術史や美術批評が、言葉を連ねて「わかるもの」にし、(中略)精彩を欠いた場所を与えられている作品を、もう一度、「わからないもの」のまま、自ら鑑賞し、わかろうとする>(『「わからないもの」の世界へ  森村泰昌論』)という態度である。その婉曲・難解な表現も、ある程度は美術批評世界のマナーを踏まえたもの(私がパロディだと思ったのもそのせいだろう)であろうし、一般に流通する森山氏のイメージ(モノクロ写真、「アレ・ブレ・ボケ」)を超えていこうとする意思が感じられる。そこから翻ってみて、平野氏の近作『ある男』や『本心』が平明な文体であるのは、社会問題などの「わからないもの」を、小説を通して「わかるもの」へと解きほぐしていく営みの反映であると見做すことができるのではないだろうか。

 『考える葦』もそうだったが、平野氏の評論やエッセイを集めた本を読んでいて圧倒されるのは、その幅広い知識と、何処を打っても響くような、全方位的にロジカルな分析力である。ネットにある本書の感想を読んでみると、サブタイトルにもなっている分人主義についてはあまり触れられていない、というものがあったが、直接的な言及は少なくとも、通底には分人主義的な世界観がずっとベースになっているのは間違いないだろう。特に、本書のような雑多な文章を集めた内容だと、平野氏の多様な<顔>を窺い知ることができて、この本自体が<分人主義>的な体裁を採っているのだと言える。だから読む側も、平野氏のすべてを理解し、受け止めようとする必要はなく、血盟団事件について語る平野氏はよくわからないけど、マイケル・ジャクソンについて書く平野氏は好き、という態度であっても構わないのである。

 分人主義とは、対する人や場所によって変わっていく人格の集合体のことで、そのすべてが<本当の自分>であるという考え方だが、本書に収められた8人との対談は、対人ごとに異なる平野氏のキャラクターの変化を知るという意味において非常に興味深い。平野氏と同い年である中島岳志氏と大先輩作家である古井由吉氏とでは、当然平野氏の違った<分人>が登場する訳である。しかし欲を言えば、8人とも所謂<知識層>に属する人ばかりだったので、もう少しタイプの違う人もいるとよかったのかもしれない。というのも、『ある男』の映画版が公開されたときに、出演俳優と対談する番組や記事を見たり読んだりしたのだが、平野氏の分人主義的処理能力(?)がわかりやすく発揮されるのはこういう局面においてなのか、と強く感じられたからである。

 私は平野啓一郎の単行本化された小説はすべて読んでいる(何冊かは何度か読んでいる)ので、数少ない未読本である本書を今回手に取ってみたのだが、彼の手前から奥まですべてピントが合った写真のように解像度の高い文章と、極めてロジカルで破綻の無い思考(それが表現したり主張するところの好き嫌いはともかくとして)の道筋を辿ることに無上の喜びを感じていることにあらためて意識をした。平野氏はもともと作品をハイペースで世に送り出すという作家ではなかったものの、近年はその著作が次々と映画化・ドラマ化されたこともあってか、そのリリースの間隔はさらに長くなりつつあるようだ。最新長編である『本心』も、単行本化は2021年だが、新聞連載は2019年から2020年にかけてだったため、随分と前の作品だという印象がある。平野作品への愛着と同時に、中年も深まりつつある自分が、死ぬまでに平野氏の小説をあと何冊読めるのだろうかと、そんなことを考えたりさせられたりもした。

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# by ok-computer | 2023-02-19 15:14 | 文学・本 | Trackback | Comments(0)

大阪芸術大学「卒業制作展2023」

「大阪芸術大学卒業制作展2023」に行ってきました。

今年の卒業生は学生生活の殆どをコロナ禍の内に過ごしてきたかと思いますが、作品に余りその影響は感じられず、むしろ楽しげな作風のものが多かったのが意外でした。その一方、VRやARが実装されつつある中で、「不確かな現実」をテーマにした作品が複数あったのも印象的でした。

学内では卒展と同時に、「美術学科抽象コース有志展」と「美術学科二回生収果展」が開催されており、そちらでも素晴らしい作品に出会うことができました。

卒業生の中には、アーティストとして生きていく決意をした人もいれば、アートとは何の関係もない仕事に就く人もいるでしょうが、いずれにしろ、4年間の集大成として制作された作品群からは、個別的な魅力を超えて、全的な熱量みたいなものが漂ってくるようでした。あるいは、それを「青春」と言い換えてもいいのかもしれません。

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宮本 真冬「車窓」

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島 花恋「ゆらめく」

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平山 七海「Harpy ver4.0」

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長田 尭之「(タイトル不明)」

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長田 尭之「町」

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須マ「shattEred」

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須マさんのスケッチ

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高井 怜太「観測する六つの目玉達」

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内山 愛理「影の真実」

ビデオ登場作家(敬称略)
・福井 優 ・今野 志穂 ・島 花恋 ・宮本 真冬 ・松尾 健生 ・永田 尭之 ・河関 竜輝 ・平山 七海 ・須マ ・圖師 澄音 ・高井 怜太 ・山本 一輝 ・内山 愛理 ・野口 賢世 ※一部作者不明あり。


# by ok-computer | 2023-02-13 14:39 | アート | Trackback | Comments(0)